(続けて、載せたかったのですが、急に、選挙になり、のびのびになって、しまいました。)
速水融先生の勲章は、政治の世界での、勲章(勲1等)は、たいしたことはないのですが、学術の世界で、勲1等は、滅多にもらえません。その点、すごい人だなと、思っております。
この人の、研究の成果で、明治時代の日本の急速な工業化は、江戸時代に、その素地があったことが、評価されたのです。
1 江戸では100万人の人口。
2 それを支えるには、飲み水(上水道)の確保。
3 商業の発達。それを支える、ソロバン。読み書き計算のレベルの高さ。
人的資源のレベルの高さがあった。寺子屋などがあり、識字率は5割を上回ったという。これが西洋の考えの理解に役立った。これは世界でも学力レベルが、トップだった。
4 食料を支える、交通網の整備があった。
動力はなかったものの、海では、運搬手段の海運業が発達。
尤も、この頃は、世界でも動力を使う方法はゼロに、近かった。
5 東海道をはじめとする、江戸への5街道があった。道路網の整備。
6 全国の、穀物生産は、江戸へ(100万人の人口を支えるため)荷車などを使って、運ばれた。
7 貨幣経済の発達。貨幣経済が発達しており、江戸の人は、銭を使って、品物を売買するのが、普通の世界になった。
8 また、紀伊国屋文左衛門(今の紀伊国屋)に象徴されるように、豪商が、出現した。この様に、江戸時代には、資本の蓄積が進んだ。これは、明治になって、民間の株式会社設立に、役だった。
ここで、余談ですが、江戸時代は「銀本位制」の貨幣制度だった。記憶によれば、金と銀の交換価値は1対4だった。海外では1対3。これに目を付けた、外国人は、日本で、銀を金に交換し、それをヨーロッパや香港で、金と交換した。これは、ただ、貨幣を交換するだけで、大儲けをした。これは今では日米金利差を利用して、円をドルに交換してドルで運用する、(キャリー取引)と、原理は同じである。
また、江戸時代は、少しずつ物価が上昇する現象が生じた。これは今で言えば、消費者物価の上昇である。このため、武士は江戸時代の260年の間に、次第に、困窮した。それは武士の収入は石高だった。260年の間、石高は同じで物価は上昇することが原因だった。
また、田沼意次が、小判の質を落としたと、悪口を言われるが、これは、経済が発達したことと、外国人により、金が国外に持ち出され、金の量が減ってしまったことによる。それと、貨幣の量,金の地金の量が、足りなくなったことにもよる。それほど、国内の金は、海外に流失したのだ。
以上の様に、こんな事が、明治になって、急速な工業化に、役だったのです。日本は植民地にならなかった一つの原因でもあります。
これを考えると、今でも、人的資源、学力を高めることは、重要なのです。人的資源は、昭和になって、東南アジアを工業化するのに、忘れていたことです。機械を設置しても、それを動かす能力が無くて失敗しました。始めは、どうしてうまくいかないのか、分らなかった。それが、機械を動かす人の能力が、無かったことが、後になって、分かったのです。
これは、現代でも通じます。人的資源のレベルを高めることです。今の日本の経済の停滞、斜陽化は、この人的資源が世界から見て、劣っていることです。
どうも、社会が低レベルになっています。ハングリー精神が失われております。
生活レベルを落とすなら、それを認めるなら、こうするしかないのです。生活レベルを落としも、それで、よしとする。当たり前のことを、言いました。