毎日が、つまらない事が多い。こんな時、耐えることである。耐えがたきを耐え、忍び難きを、忍びと、耐えるのである。
仕事のあった時に、会社の従業員が、俺はこうだと主張して、会社にいずらくなり、退職した人がいた。
私も、それに近かったが、これ以上やると、同じく退職を迫られると、判断し、以後は何も言わず耐えて来た。その中に、そのことは会社で誰も、関心が、無くなり、いつの間にか消えてしまった。
次は、共産党員の集団での、いじめである。何かにつけ、ケチを付けられた。その根本には、「憧れ」と「ねたみ」がある。しかし、それも、知らんふりして、我慢してきた。これは、定年退職まで続いた。おかげ様で、選挙では、日本共産党には、絶対に票を入れないことにしている。
それと、パワハラも日常的に、受けてきた。今でも、そのことを、思い出し、そんな奴は、老後は、地獄に行けと思っている。
こんなふうにして、会社では恵まれなかったが、無事、今まで来ていることは、やはり、神の御加護がるからだと思う。
そして、復讐は。神にまかせるのみである。これが、生きるこつである。