(今日は、得にありません。8304あおぞら銀行、1301極洋、いずれも、買い場だと思いますが。)
スイカを食べて、思うことがある。それは、スイカは、小さい頃は高級品で、1年に一度しか、食べられなかった。生家は農家である。しかし、スイカを栽培すると、大体、盗まれてしまう。そんな理由もあった。
食べる日は、8月16日の送りお盆の午後、2時頃だった。午前中から井戸の中に、スイカを吊るしておく。これが、結構冷えるのである。そして、家族全員集まり、一つのスイカを、包丁で切り食べるのである。皆黙って、食べる事だけに、集中している。
食べ残った、白い部分は、牛に食べさせる。牛も、結構、うまいのか、よく食べる。無駄が少しもない。
その16日の「送りお盆」の日は、村では、午前に、「里いも」の葉に、茄子の馬に、食べさせる餌を置く。餌は、これも茄子、キュウリ、人参である。
茄子の馬は、茄子に足は小枝を4本突き刺し、尻尾はトウモロコシの茶色の髭で、尻尾とした。農家なので、材料には、困らなかった。
そして、先祖の送り火は、稲藁の上を縛り、下を広げて倒れない様にして、マッチで、新聞紙に火を点け、稲藁を燃やすのである。本来ならば、夕方やるべき事を、農作業が有るので、午前中に、済ませてしまうのである。
中学生の時、小玉スイカを、屋敷の畑に作ったことがある。40コくらいできたろうか。中学の友人に、食べさせた、記憶がある。
中学生の頃から、終戦後の、貧乏生活から、高度経済成長期になる前兆で、何となく、豊かになったと感じた。つぎはぎだらけズボンを、はいている子供が、いなくなった頃である。この頃は、衣服に付く「しらみ」もいなくなった。