(今日は、持ち株で、特にこれといったところはありません。
7004日立造船、ほぼ、下げ止まったようです。
5707東邦亜鉛、横ばい。これで、ほぼ、底値は確認した後で、
株価は、横ばい状態です。後は、2年間の辛抱です。
1301極洋を買い増しました。
成長株と言えば、
4980デクセリアリス。
7532バンパシホールデング(ドンキホーテ、長崎屋)
8591オリックスでしょうか。
この3銘柄は、安心して持っていられます。)
こんな爺さんのブログを、予想外の人に、見ていただいて、有難いです。終戦後の事がわかると、思います。
とにかく、その頃は、物資が全て不足していた。木炭バス(蒸気バス)の事を、書いておこう。
当時は、日本全国、ほとんど、蒸気機関車だった。上越線でさえ、電化されたのは。小学生になってからだった。両毛線などは大人になってから、電化された。
木炭バス(蒸気バス)は、バスの後ろに釜(蒸気を作る2つ並んだ高圧ガスの大きな形のものが、2つ縦に並んでいた。車掌は男で、この釜に、薪を燃やす。蒸気が出来たら、その力でバスを動かすのである。
停留所から、動く時の事、お婆さんと、乗ってみた。中はとても高いと、思った。さて、それからである。バスが動かない。そこで、車掌と、乗客の2人が、バスの後ろから、バスを押し出す。何とか動くと、その3人は、走ってバスに、乗りこむ。バスはのろのろの速度で、自転車に追い抜かれる有様。
時速、6キロくらいだろうか。とにかく、情けない話である。
復葉機の話もあるが、長くなるので、次の機会に。
小学生の1年生の頃は、家の裏が竹藪だったので、筍が出ると、皮が落ちる。それを、姉と拾って、庭先で乾燥させる。それを、買いに来る業者がいた。一枚、1円で買ってゆく。しかし、その時、姉と2人きりだったので、「これは、ここが赤くなっているから駄目だ。」などと、難癖を言い。そして、それを、売り物にならないと思わせて、帰る時に、4枚1円で、買ってゆく。何だい、欲しかったのかい。
結局、20枚くらいでも、12円くらいだった。随分悪どい商売である。この時の、アイスキャンデーが、一つ10円だったから、ほとんど、報酬はゼロに近い。
思い越せば、この頃は、インチキな商売が多かった。家では、鶏を7羽くらい、飼っていた。その鶏を交換して、その差額をとって行く業者である。鶏を自転車の籠の中に入れて、家の鶏と交換するのである。その交換の差額を、取っていくのである。「この鶏は、もう卵を産まない。」といい、交換してゆく。
実際は、卵を産んでいるのである。他の家でも、同様に、交換してゆく。
また、古金を買いに来る、業者もあった。鉄くず、銅線などを、買ってゆくのである。当時は確かに、金属が不足していた。三菱マテリアルなどは、優良企業だったと思われる。また電気が、3日に一度停電するので、アルミニューム製造メーカーは、無かった。電気が日常生活でも、不足していたのである。これも、悪どい事をやっていたと思う。今は相場が安いからと言って,ただ同然で、小銭を、置いてゆくのである。
この頃は、日本では、農林水産業が、90パーセントなので、働くところもないので、こんな、商売が、有ったのだと、思う。