まだ、3,4歳の頃か。お婆さんが、昼の用意に、よく野菜炒めを作った。野菜は、農家なので十分に有った。フライパンではなく、大きな鍋を、釣るして、油を入れ、野菜を炒めた。鍋の下は、桑の木を燃やした。蚕を飼育していたので、桑の木は十分あった。ただ、火加減が難しかった。
油が温まって、野菜を入れると、ざーという、激しい音と、水分が、飛び散った。桑の木の煙も、随分出て目に染みる。少しだけれど、桑の燃えカスが、鍋の中に幾つか入った。しかし、お婆さんは、あれこれ調整できないので、そのまま、野菜を炒めた。
この頃は野菜炒めとは言わないで「油炒め」と言っていた。近所の人が、お婆さんは、よく油炒めを作っていると、わたしに言った。2日に一度くらい、作ったのかなー。他に、調理方法も無いので、そうしたのだと思う。
夜は、毎日、手作りの、うどんだった。家では小麦を栽培していて、小麦粉は農協の製粉工場で、粉にしてもらっていた。ほとんど、自給自足の時代だった。醤油も、自家製の醤油だった。
麺を伸ばす板の上に、小麦粉をまん中あたりに山にして、上に水が入るように広げて、水を入れ、手でこねる。疲れると、竹で作った、四角の編み物を小麦粉の上に乗せ、その上に立って、足で延ばすのである。
そして、また手でこねると。こうして次は、麺棒を転がしながら、小麦粉を薄く延ばす。ある程度薄くなると、次は、2つに別れる。
一つは上州名物の「お切込み」で、もう一つは、器械で、うどんを作るのである。
ここでは「お切り込み」を書いてみる。薄くなったうどん粉を、麺きり包丁で、幅2センチ、長さ20センチくらいに切る。
それを、鍋の中に、里芋、大根、人参、油揚げ、白菜など、季節の野菜を入れ、これと、一緒に、幅広うどんを入れて、一緒に、煮込むのである。これが「お切込み」である。鍋の中で、麺と野菜を、ぐつぐつ煮るので、醤油が麺にしみこみ、結構おいしかった。今は、もう、手間暇かかるので、「お切込み」を、作っている農家は、なくなってしまった。