筍を食す。婦人会か、日本舞踊で、頂いたものだ。先日は「びわ」を頂いた。
びわは、もらったものなので、スーパーにあるような綺麗なものではない。この辺りでは、庭先にあるのを、無造作にとって、そのまま、貰っている。これが普通だ。形は小さいし、埃が付いている。それでも、川をむいて食べると、やっぱり、「びわ」の味である。ありがたい。
今の筍は、真竹である。孟宗竹は3月で、時季が異なる。「かりかり」として、苦味の有るのが、何とも言えない味わいである。どうも、齢をとると、お茶の渋みとかが、いい味になってきた。
そういえば、今年はまだ、「ウド」を食べてない。これも、しゃきしゃきしてうまい。まあ、スーパーで、買ってこよう。 スーパーでは梅が出ていた。今年は、不作だとか。この梅も、最近は塩を少なくしているので、これまた、うまい。
齢をとって、味が悪くなるという。わたしも、そうなのだろう。そして、渋みに、魅力を感じるのは、人生、甘くはなく、渋いことだらけだったので、渋い味に、慣れて、しまったのかも、しれない。
そういえば、わたしの人生も、渋い味だった。