(どういう訳か、投資資産が、ほんのわずかですが、更新しました。毎日、日経新聞で、会社を、よく見ているからだと、思います。会社の決算で、これはと思う会社は、会社四季報の、目次にマークする方法を考えつきました。これにより、会社四季報、春号から夏号にも、同じくマークをつけますので、銘柄捜しが、時間短縮になります。一寸した、アイデアです。)
毎日、単調な日々が続く。まあ、これも、大体の人は、会社勤めとかで、こうなのだから、よしとする。駄目だと、言ったところで、改善の方法がないから、仕方なし。
まあ、その中で、仏道の修行ではないが、一つ一つ、しっかりとやることだ。
曹洞宗の総本山、福井県の永平寺では、食事の作法まで、しっかりと決められていて、今でも、そのとおり、食べている。食事も修行の一つなのだそうだ。
永平寺では、トイレでの作法まで、決められていて、そのとうりしている。
生活のすべてが、修行なのだ。
私が、永平寺では、修行出来ないと思うのは、まずこれだ。朝の洗顔は、桶、一杯の水で済ます。これは、とても出来ない。花粉症なので、鼻うがいを常にしている。永平寺では、これが出来ない。まあ1300年前には。花粉症という考えは、なかったので、こうなったのだろう。
それと、感染症という事が、分らなかった時代である。水は出来るだけ、少なく使うという理論である。ある程度、水を使わないと、手指は綺麗にならない。
ここで、私は不潔恐怖症なので、トイレで、普通の人より、丁寧に、手を洗っている。永平寺では、これが出来ないので、私は、永平寺では、修行できない。
永平寺は、これくらいにして、残り少なくなった。悟りなど、とれも得られない。毎日が、不安と、がっかりの生活である。
しかし、少しは、出来ることがある。それは丁寧に生きることである。明日、命が、亡くなるかもしれない。しかし、今日、一日、丁寧に、生きれば、少しは、悔いが無くなるのではと、思っている。一つ、一つ、確実に、こなしてゆくのである。まあ、こんな事を考えても、現実は、どうなるか。