中国の、清の西太合の時代。西洋列強は、清を植民地にしようと目論見、進出していた。その時、義和団が、反乱を起こした。55日というが短期間で、この反乱は鎮圧された。この時日本軍も、鎮圧に動いた。
結局、義和団の反乱は、西洋列強の軍隊により鎮圧されたのである。西太合の最後の言葉「清は滅びた」が記憶に残る。
その後、日清戦争で、中国は負け、ロシアは、南下政策を続ける。そして日ロ戦争となる。
映画では、義和団が悪く描かれているが、列強の北京に駐留する軍隊に、反対したのである。彼らなりに、清をどうしようかと考えていたのである。日本で言えば、近藤勇の新選組というところか。
「北京の55日、 55 Days at Peking」サントラ~Brothers Four
https://www.youtube.com/watch?v=U3DfmJc4Mcc&list=RDMM&start_radio=1&rv=YdLdz-XfZUU
この時代は、映画全盛の時代だった。この年の正月には、「アラビアのロレンス」を見た。エリザベステーラーの「クレオパトラ」とか、大作が相次いだ。
この年、1964年は、東京オリンピックの年でもあり、イギリスのビートルズが、来日公演をした、年でもあった。
(ウイキより)
義和団の乱
1900年(1899年)に起こった、清朝末期の動乱である。義和団事件・義和団事変・北清事変(ほくしんじへん)・清国事変などの呼び方もあり、中国では戦争が起こった年の干支から庚子事変(こうしじへん)とも言われるが、本項では「義和団の乱」で統一する。
「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社義和拳教による排外主義の運動が展開されたが、1900年(光緒26年)に清国の西太后がこの叛乱を支持して6月21日に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった。だが、宣戦布告後2カ月も経たないうちに、北京の公使館員や居留民保護のため八カ国連合軍が北京に進出し、大日本帝国が中でも最大の兵力8000人を投入した。