戦後の混乱期に、全国に、浮浪児と呼ばれる、両親や家族のいない子供が、多くいた。彼らは、何時しか大都会に集まってきた。生きるか、死ぬかの状況で、集まったのだ。上野駅の地下道や渋谷のガード下で、寝泊まりしていた。
食べ物が無いので、窃盗などをして暮らしていた。毎日、飢えで、何人もの子供が、死んでいった。今日は、何人死んだという新聞記事があったという。
そんな彼らが選んだのは、タバコ拾いと、靴みがきだった。靴磨きといっても、そう収入があるわけではない。着ている服は、着替えがない。洗濯もしない。風呂にも入れない。そんな、悲惨な状況を歌った曲である。
(ここで、一筆書いておく。食糧難の時代。政府の備蓄米などは、2年間分あったという。NHK「戦後0年」より。こうなると、この浮浪児問題は、深刻な問題では、無かった。これは、もう国家的犯罪である。死ななくてもよい人が、官僚などの、懐を肥やすために、死んでいった。日本の政治の、お粗末さを、物語る)
ガード下の靴磨き 宮城 まり子
https://www.youtube.com/watch?v=X4j1X-_wdeQ
(ウイキより)
宮城 まり子(みやぎ まりこ、1927年3月21日 - 2020年3月21日)は、歌手、女優、慈善活動家(福祉事業家)、映画監督。勲等は瑞宝小綬章(旧勲四等)。位階は従五位。本名は本目 眞理子(ほんめ まりこ)。
人物
人気女優であり、NHKの紅白歌合戦に8回も出場した人気歌手でありながら、芸能活動を事実上やめ、日本初の民間社会福祉施設である社会福祉法人ねむの木福祉会の理事長、静岡県掛川市にある学校法人ねむの木学園の理事長、ねむの木養護学校の校長、特別支援学校ねむの木の校長などを歴任した。
上皇明仁・上皇后美智子とは皇太子・皇太子妃時代から40年の親交があり、両者は度々ねむの木学園やねむの木学園の美術展を訪問して宮城まり子と対面し、非常に懇意だった。