(東京市場、日足がデッドクロス形成、MACDもデッドクロスを形成してから数日経過。前のブログで、しばらく、横ばいかと書いたが、今回は当たった。
持ち株を一部、売っておいたのが、よかった。)
時々、頭に浮かんでくることがある。それはまだ、4歳くらいの頃、お婆さんと、「弁蔵さん」の家の前で、奥さんとお婆さんが話した時の事だ。齢は同じくらい。それを、2回くらい、話したことを憶えている。私は、幼いし、黙って、聞いていた。
「弁蔵さんの奥さん」は、バセドウ氏病で、首の、のどが、ふくれていた。それと、かなり白内障が進んで、目が白く濁っていた。当時のことだ。白内障と言っても、手術する方法が、なかったかもしれない。
またバセドウ氏病といっても、これも、治療方法が無かったかもしれない。 何しろ、戦後の混乱期で、どの家にも、防空壕がある時代。物資は少なく、今のテシューなんてものは無い時代。道路の舗装など、前橋市でも、なかった時代である。日本全国、道路はじゃり道である。それでも、じゃり道は、いいほうで、ほとんどが、砂の道である。道の端には、雑草が生えている。
覚えているのは,「弁蔵さんの奥さん」が、鼻をかんだ。それは新聞紙を小さく切ったもの。それを、懐にしまった事である。この頃だから、もう一度、鼻をかんで、使いきれなく、なったら、捨てるのが、普通だった。私は、小さかったので、見上げて、二人の話を聞いていた。この頃のコミュニケーションと言えば、近所の家に行き、縁側で、お茶を飲みながら話すと言うのが、普通だった。
者を大事にすると言うか、物そのものが、無かった時代である。
今は、使い捨ての時代。なんでも、捨ててしまう時代。便利ではあるが、もう少し、物を大切にできないものかと思う。
コンビニの、弁当の廃棄を聞くと、ため息がでる。世の中には、その日の食べ物に、困っている人がいるのに。こういう弁当の廃棄を「こども食堂」に配ったらどうかと思うが。これもまた、余計な批判がでる。衛生管理はどうのとか、人権を軽視しているとかである。それよりも、腹をすかしている子供がいる。このことを、優先すべきではないか。このような批判は、無責任だと思うが。
道路に落ちている、「せんべい」のかけらを、蟻などがいると、払って、食べた人でなければ、分んねえかな。この煎餅を食べたのは、私です。