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カスバの女(6.4.5)8時48分

(円ドル為替は理論上、142円だそうである。「日経新聞、4月4日」

自民党の処分をみると、内紛がうかがえる。それこそ、自分だけの人ばかり、私利私欲に取りつかれた人ばかり。国民への政治はない。こんな事を数十年もやってきたのかと思う。こんな事だから、生活は悪くなる。)

 

 変わった歌である。アルジエのカスバを舞台にした詩であるという。

画面では昭和30年の大阪が出てくる。当時の様子が、少しわかる。

歌詞を聞いていると、フランスのパリでもあるようである。詩の中身がパリと北アフリカで、ごちゃ、ごちゃ、である。

 

エト邦枝 カスバの女 昭和30年 大阪風景 

https://www.youtube.com/watch?v=P9g5cL516N8  

 

(ウイキより)

カスバの女(かすばのおんな)は、エト邦枝が1955年(昭和30年)に発表した楽曲である。

 

解説

韓国人の作曲家・久我山明が、自作の曲を作詞家の大高ひさを邸を訪れて持ち込み、その曲を聴いた大高が「日本の演歌では単なるモノマネになる」と思い、外国(アルジェのカスバ)を舞台にして詩を書いた作品であるという。

 

当初、芸術プロ製作映画『深夜の女』の主題歌として制作され、レコーディングを終了して発売したものの、肝心の映画が製作中止となり、発売元のテイチクレコードも熱心にキャンペーンすることなく曲は自然消滅の形となり、歌唱したエト邦枝は芸能界を去ることとなった。作詞した大高ひさをによると1766枚しか売れなかったという。


その後、1967年(昭和42年)になって緑川アコがカバーして日本クラウンから発売するとこれがヒットとなり、以後は竹越ひろ子、沢たまき、扇ひろ子らがこぞってカバーして知られるようになる。これを受けて本家本元のエト邦枝も表舞台に復帰して思い出のメロディー(NHK総合テレビジョン、197687日放送)を始めとする“懐かしのメロディー”番組に出演して本曲を歌唱している。

10件のコメントがあります
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    りす栗さん
    2024/4/5 08:53
    おはようございます。

    これまたぎりぎり(タイトルに記憶はあるが)リアルでは聞いた記憶がないとおもったら生まれた年のころの歌らしい。
    メロディがなんとなくうかぶのはリバイバルか誰かほかの人が後年にカバーしたときなのでしょう。
    歌のうまい歌手がたまに昔の歌をカバーするのはいいですね。
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    堅実さん
    2024/4/5 09:14
    りす栗  さんへ

    「これまたぎりぎり(タイトルに記憶はあるが)リアルでは聞いた記憶がないとおもったら生まれた年のころの歌らしい。
    メロディがなんとなくうかぶのはリバイバルか誰かほかの人が後年にカバーしたときなのでしょう。
    歌のうまい歌手がたまに昔の歌をカバーするのはいいですね。」

    お若いですね。この歌は、昔、スナックでよく、聞きました。
    それも、昔の話です。
    1954年が、ゴジラ映画の第1作です。
    未だ、戦後の、傷跡が残った時代でした。


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    島次郎さん
    2024/4/5 09:29
    サラリーマンやっていた頃、お客様に連れられて八丁堀のフィリピンパブに行きましたら、若い女性がこの歌を歌っていたので、かっこよいなと思いました。オヤジではなく若い人が堂々と演歌を歌っているとかっこよいなと思います。
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    堅実さん
    2024/4/5 11:04
    島次郎  さんへ

    お久しぶりです。お元ですか。

    「サラリーマンやっていた頃、お客様に連れられて八丁堀のフィリピンパブに行きましたら、若い女性がこの歌を歌っていたので、かっこよいなと思いました。オヤジではなく若い人が堂々と演歌を歌っているとかっこよいなと思います。」

    昔は、サラリーマンだったんですか。
    この歌は、今でも、結構歌われている曲です。歌詞が珍しいからだと、思いますが。


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    kouboudaisiさん
    2024/4/5 11:08
    • こんにちは!いつもお世話になっております。
      >1967年(昭和42年)になって緑川アコがカバーして日本クラウンから発売するとこれがヒットとなり、以後は竹越ひろ子、沢たまき、扇ひろ子らがこぞってカバーして知られるようになる。
      私は何故かしら小学校時代ですが、西田佐知子の歌ったのを覚えております。
      日経平均1000円近く下がっております。大丈夫でしょうか?

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    堅実さん
    2024/4/5 11:12
    kouboudaisi   さんへ

    「1967年(昭和42年)になって緑川アコがカバーして日本クラウンから発売するとこれがヒットとなり、以後は竹越ひろ子、沢たまき、扇ひろ子らがこぞってカバーして知られるようになる。
    私は何故かしら小学校時代ですが、西田佐知子の歌ったのを覚えております。
    日経平均1000円近く下がっております。大丈夫でしょうか」

    そうですか。不思議なもんで、後になって、ヒットする曲もあるんですね。

    日経平均下がりましたが、昨日、一部、売っておいてよかったです。
    今回は、大天井を付けた後の下げなのか、しばらく、様子見です。


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    風車の弥吉さん
    2024/4/5 13:52
    こんにちは。

    日本の演歌と違ったエキゾチックな歌でしたね。

    ちょっと、投げやりな歌い方に特徴があり、他の歌手とは違った存在でした。

    割と早く亡くなられて残念でした。


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    パラちゃんさん
    2024/4/5 15:27
    懐かしい歌ですねぇ~   
    アハハハ


    昭和の歌には味があるので、大好きでぇ~す!   

    今の歌も嫌いではありませんが、様々なリズムの変化と、色々な
    ジャンルの歌が、ごちゃ混ぜの詩よりも曲が中心なので、リズミ
    カルな曲が多いとは思っていますが、味が無いんですよねぇ~  
    アハハハ!


    スナックや、バーでは音響効果の良いカラオケがある時代なので、
    時々は歌いますが、やはり昭和の歌を楽しく歌いたいでぇ~す!  
    アハハハ!!
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    堅実さん
    2024/4/5 17:53
    風車の弥吉  さんへ

    「日本の演歌と違ったエキゾチックな歌でしたね。
    ちょっと、投げやりな歌い方に特徴があり、他の歌手とは違った存在でした。
    割と早く亡くなられて残念でした。」

    ありきたりの歌ではなく、変わった歌を載せております。
    エキゾチックであり、投げやりの歌ですね。
    歌詞は、仕事が、ホステスで、生活が、ままならないから、こういう歌になるのでしょう。
    当時は、金さえ出せば、仕事が終わって、何でも、受け入れた時代でした。これは、母親から、聞いております。売春という言葉は、ありましたが、きびしく、なかった時代です。
    早世でしたね。人の一生を、思います。
    それぞれの人生があり、そして、終わってゆく。




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    堅実さん
    2024/4/5 17:54
    パラちゃん  さんへ

    懐かしい歌です。画面は、当時の大阪の風景がでているので、当時はこうだったという、ことです。

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