開業資金も限られてましたので私は兼業で店長を任されてまいした。
そして、運営していて店のシャッターを開けて店内の掃除をして
接客職の従業員を待って、営業時間までに看板を出して、
営業開始でお客さんが待って居て、開店と同時に指定席を頼まれ
ショーを一日3回おこなって毎日が満員で営業して宮浦瞳さんに
毎月の給料は、当然の権利だからお礼を言う事しなくて好いと言われ
コツコツと毎日貯めて、勤労学生をしながら営業して通勤と帰宅の
毎日でした。しかし兼業もしながらでしたので企画投資をしながらの
総合的な毎月の資産になっていたのかは云われずでしたがテレビを観る
時間は無く忙しいので、時間が無いと言って店に来てもらってました。
そして経費で賄って食事や医療などは運営してました。
通う先々の店や医院など苦楽を共にした事で苦楽を楽しんでました。
関連銘柄は起業初期の銘柄で、宮浦瞳さんの顧客だった方達です。
苦難の連続だった時より希望が持てたから耐えられたのです。