こんな老人のブログでも、大体、100回のアクセスが有ります。有難いことだと、思っております。ただ、それだけではなく、人は、何か空しいものを感じて、何かを求めているのだと、思います。そんな人のために、ささやかですが、応援歌をささげたいと、思っております。
昨日の節分で、書きそこなったことです。小生が、未だ、幼稚園の頃、お婆さんが、かまどで、イワシの頭を焼いておりました。それを、ヒイラギの枝に刺し、玄関に架けました。鬼は生臭いものが、嫌いという事と、ヒイラギの葉の刺が、嫌がるとのことでした。
それでは、本題にいきます。
かの剣豪、宮本武蔵は「神仏は、尊し。しかし、神仏には頼らない」と言ったそうだとか。確かにそうだ、拝んだだけでは、果し合いには、勝てない。おのれの力を信じるだけと、考えていたのでしょう。
ここでは、拝むだけで、解決するという考えもあります。これを整理してみますと、こうなります。
1 武蔵の様に、自分だけを信じる生き方。
2 神と自分の努力を、合わせて、生きる生き方。
3 拝むことだけで、なんとか、解決しようとする生き方。
生き方には、神の力+自分の力の合成になります。
1の場合は、神の力がゼロです。
2の場合は、神の力+自分の力
3の場合は、自分の力がゼロです。
だいたいこのように、整理できますが、日常生活においては、たいていの人は、1の生き方であり、年末、年始には神仏をお参りするということでしょう。
小生の場合は、2の神の力+自分の力ですが、骨折した時は、自分の力ではどうにもならなくなり、とにかく、痛みで動けない状態になりました。こんな時は3の場合だったと、思います。
まあ、これは神仏と自分を整理しただけですが、これからの読者の生き方で、参考になるでしょうか。