もしも、米国のように、金融資本がほぼ完全に経理的論理で利潤を追求する考えで徹底したら、文字通り、自由主義経済の論理は完結する。しかし、アクティビストから文句が出ている通り、日本の会社はそうなっていない。唯一東京は、不動産に至るまで米国化しているので、近代経済学の論理が完結し、米国からは褒められるが、アジア諸国からは批判されるだろう。
隣に中国という自由主義経済でない大国があり、そことの貿易の占める割合が多い東アジアでは、米国の一部にでもならない限り、無理ではないか?
経済原則をどこまでジャパナイズするのか? これはもう経済の問題ではないのだ。価値観と政治の選択の問題だろう。