日経新聞の「わたしの履歴書」の、今月は倍賞千恵子である。丁度今日は、この「下町の太陽」の事が、書いてある。
昭和38年にこの歌が出て、新人賞をもらった。小生はこの時は、中学3年生で、城ヶ島、三浦半島、箱根のバス旅行であった。宿泊先は、油壷だった。
そのバスの中で、度々聞いた。その時は、倍賞千恵子なんて知らなかった。それより、歌謡曲には、全く関心がなかった。箱根の地獄谷での観光、熱帯植物園で、初めて「ゴムの木」を見た。
翌年39年に「下町の太陽」として映画になる。監督は山田洋次。その時もこの映画は、全く知らなかった。後になって、「寅さん映画」で、妹のさくら役で出演して、有名になる。おでこだが、きれいな人だと思った。
この年は、「アラビアのロレンス」が正月映画として、上映された年である。
画面は、荒川の土手を「下町の太陽」を歌うところである。画面を詳細にみると、空気が汚れている。この歌は、映画の初めと中程、そして最後に3回歌われるそうである。歌が、映画の中で3回出るのは、めずらしいらしい。山田監督の新しい構想である。
当時から「公害問題」が、言われだした。「四日市ぜん息」とか、神通川流域の「痛い痛い病」が、言われた。そして数年後の水俣のチッソの工場から流される、有機水銀による手足のまひなどの全身病が公害問題として、社会問題となる。
鐘ヶ淵化学(現在のカネカ)の六価クロムも、人体に、悪影響されるとして、これも問題となる。そんな時代の始まりであり、高度経済成長の始まりでもあった。
倍賞千恵子 下町の太陽 1963年公開映画 昭和38年 歌詞付き
https://www.youtube.com/watch?v=c-dQCvnFvkg