下町の太陽 5年12月9日(土)9時41分

堅実さん

日経新聞の「わたしの履歴書」の、今月は倍賞千恵子である。丁度今日は、この「下町の太陽」の事が、書いてある。

昭和38年にこの歌が出て、新人賞をもらった。小生はこの時は、中学3年生で、城ヶ島、三浦半島、箱根のバス旅行であった。宿泊先は、油壷だった。

そのバスの中で、度々聞いた。その時は、倍賞千恵子なんて知らなかった。それより、歌謡曲には、全く関心がなかった。箱根の地獄谷での観光、熱帯植物園で、初めて「ゴムの木」を見た。


翌年39年に「下町の太陽」として映画になる。監督は山田洋次。その時もこの映画は、全く知らなかった。後になって、「寅さん映画」で、妹のさくら役で出演して、有名になる。おでこだが、きれいな人だと思った。

この年は、「アラビアのロレンス」が正月映画として、上映された年である。


画面は、荒川の土手を「下町の太陽」を歌うところである。画面を詳細にみると、空気が汚れている。この歌は、映画の初めと中程、そして最後に3回歌われるそうである。歌が、映画の中で3回出るのは、めずらしいらしい。山田監督の新しい構想である。


当時から「公害問題」が、言われだした。「四日市ぜん息」とか、神通川流域の「痛い痛い病」が、言われた。そして数年後の水俣のチッソの工場から流される、有機水銀による手足のまひなどの全身病が公害問題として、社会問題となる。

鐘ヶ淵化学(現在のカネカ)の六価クロムも、人体に、悪影響されるとして、これも問題となる。そんな時代の始まりであり、高度経済成長の始まりでもあった。


倍賞千恵子 下町の太陽 1963年公開映画 昭和38年 歌詞付き 

https://www.youtube.com/watch?v=c-dQCvnFvkg  


 

5件のコメントがあります
1~5件 / 全5件
堅実さん
kouboudaisi  さんへ

「ブログ復活嬉しい限りです。」
ありがとう、ございます。
しかし、3か月で退院を、1か月以内の退院なので、未だ背骨の痛みがあり、痛み止めを、飲んでいる状態です。
こんな事なので、やはり、気持ちが晴れないです。
しかし、ブログは、誠実に、しっかりと書くつもりです。
明日、どうなるか分かりませんが、今日、精一杯、生きましょう。



こんばんは!
>もう、いつまで、ブログを、書けるかわからないです。
そして、いつ、なくなるか、小生にも、わかりません。
ブログ復活嬉しい限りです。


堅実さん
ピーマンショック さんへ

「公害ってこの昭和の時代にクローズアップされ始めたんですね。」
そのとおりです。
そして、この頃は、企業の反発もあり、環境問題が改善するには、50年以上、ついやしました。
今では、地球温暖化問題がありますが、これも、数十年、かかるのでは。
温暖化問題で、新潟の米が、白くなり、等級が落ちたとか。これは、もう、くず米です。こんなところまで、影響しております。



おはようございます。

公害ってこの昭和の時代にクローズアップされ始めたんですね。

このあと、公害対策として環境基本法が本格的に整備されたのが平成五年ですから、ずいぶん時間がかかったものだと思います。

あれから、何年も経過した今日は、SDGsで自然環境をより良いものにしていこうとする動きが整ってきましたが、ずいぶんいろいろあったものだと思いました。

こういった公害から自然環境保護の強化までの歴史を堅実さんのブログで振り返ることができました。

こうした流れを頭に入れて、これからの活動に役立てて行きたいと思います。

堅実さん
堅実です

今月は1回のブログに100のアクセスがあります。
見ていただいて、ありがとう、ございます。
ひとつのブログには、ひとつずつ、丁寧に買いております。
もう、いつまで、ブログを、書けるかわからないです。
そして、いつ、なくなるか、小生にも、わかりません。
それでも、ひとつずつ、しかりとしたものを、書きたいと思っております。

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