すすきの花が、寒風にさらされている季節になりました。
しみじみとした歌である。潮来地方の小舟の船頭の物語である。歌っているのは、倍賞千恵子である。もう歳をとってくると、静かな雰囲気を求めたい、気分になる。
背骨の圧迫骨折は、相変わらず。どうやら、1か月から2か月要するらしい。入院も考えたが、そこは個人経営の診療所。お客様は、離さない方針。
理由をつけて、他の病院に入院させない方針。ここで、トラブルを起こして強引に入院しても、今後の事を考えて、入院しないことにした。
また、リウマチで、入院した病院は、これも個人経営。なんだかんだと理由をつけて退院させようとしない。この齢になれば、検査をすれば、誰でも、2,3か所は、異常値が出てくる。そこで、病院の言うとうりにしていれば、一生、入院生活になる。
世の中、生きることの難しさを、感じる。ここで、小生の様な、思いをしている人は、相当数いるのでは。
1923(大正12)『船頭小唄(枯れすすき)』作詞:野口雨情/作曲:中山晋平
https://www.youtube.com/watch?v=bRrq8JdTSig
この歌は、随分、いろんな人が、歌っている。人生の悲哀、悲しさを感じる。
画面は、昭和32年の映画「雨情物語」である。
(ウイキより)
解説
1921年(大正10年)1月30日に民謡「枯れすすき」として野口雨情が作詞、同年に中山晋平が作曲した。
1922年(大正11年)に神田春盛堂から詩集「新作小唄」の中で、「枯れ芒」を改題し「船頭小唄」として掲載された。
1923年(大正12年)、ヒコーキレコードから女優・中山歌子によって初めて吹き込まれ、その他オリエントレコードから演歌師の鳥取春陽、田辺正行、木津豆千代、ニットーレコードで高橋銀声などが歌った曲。同年、松竹から池田義信監督、主演・岩田祐吉、栗島すみ子で映画化された。
この歌の大流行の最中、関東大震災が起こり、雨情の暗い歌詞、晋平の悲しい曲調から、この地震を予知していた童謡(わざうた)だったのではという説が流布した。
1957年(昭和32年)1月東京映画配給の映画『雨情物語』の主題歌として森繁久彌が歌い、大正から戦後の昭和まで、また現代においても「枯すすき」に人生の哀愁に共感するとしてヒットした流行歌となった。
「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき……」と男女の間柄を歌っている。