今日は、株式は、下げました。9月の末からの下げが大きい。しかし、小生、これは、また、買いのよい時だと、思っている。小生の買う銘柄は、地味で、配当金が中心なので、下れば、配当金率が、わずかであるが、上がってくる。ここで、待機資金は、十分あります。
大体、500の配当金が、毎年続くので、これを再投資すれば、また、配当金が増えることになる。
そして、これには、銘柄を、まめに調べることである。これを一般化すれば、まめに生きれば、いいことがある。相変わらず、世の中の事は分からないが、そんな時は、何時も、これは、確かだろうと思う原点に戻って、そこから、考えや行動を、出発させる。そしてこれは確からしいところをまもっている工夫をしているのである。
こつこつやれば、やがては大きな結果になる。「千里の道も一歩から」とは、このことだ。
何をどうしようか分からない時は、具体的には、身の回りの整理整頓がよい。いつの間にか、あちこち雑然としてくる。時間があれば、片ずけるだけである。
「一日の計は朝にあり」。これは昔、日本人が、狩猟から農耕の時代に移り農作業をどうするかを、朝天気を見て、今日は、こうしようと予定を立てたものだ。
小生の場合、「一日一学」で、生きてきた。時々、道草をしながら、また戻り、ずーと、こうしてきた。このことを10年も続けると、以前とは異なる自分に気が付く。ただこれは、厳しい側面をもっている。次第に世間一般とは、考え方や生き方が、ずれてくるのである。このことで、いろいろ悩んだが、どうにもならない、ギャップ(溝)が、そこにある。
それなら、もう仕方がないと思う。我が道を行くである。このことは、何度もブログに書いたが、そして検討してみたが、この位置の異なりは、他の人に近づくことはない。近づいたら、自分でなくなるからだ。このことは仕方無しと、思っている。しかし、これはマイナス面ばかりではなく、プラスの面は大きい。いろいろな、心の安心できることが多くなる。
そして、これは、孤独に生きる事であり、つらい事でもある。それに耐えなければならないことは、分かっている。つらい事だ。あとは、神と共に生きることだ。