お釈迦様の弟子で、大変、頭の悪いのが、おりました。なにしろ、自分の名前も、忘れる程でした。けれども釈迦の説法には、必ず出席して、聞いておりました。聞き終わると、何を聞いたのか、分からない。そんな自分が、悲しくなって、一人、庭で泣いておりました。
そこへ、釈迦が現れ、「どうして、泣いているのか。」と、尋ねました。男は、釈迦の説法が終わると、全て忘れてしまい、それが悲しくて、泣いていると答えました。
すると釈迦は、
「明日から私の話は、聞かなくてもよい。その代わり、この庭を、毎日箒で、はいておくれ。その時に「塵を払え」と、この言葉だけ、繰り返して言ってみるがよい。」
男は喜んで、毎日、雨が降ろうが、雪が降ろうが、ほうきで庭を掃除しました。その時に「塵を払え」と、何度も言いながら、掃除をしたのでした。
そのうちに、男は気が付きました。掃除を毎日しているから、塵なんて、どこにもないじゃないか。どこも、綺麗じゃないか。そして、掃除をすれば、この心も澄み渡ってくる。
ここで、男ははっと、気が付きました。そうか、塵を払えというのは、澄み渡った心を、求めているのであり、この先に、悟りというものが、あるのだと。
お釈迦様は、このことを教えるために、頭の悪いわしに、庭の掃除をしてみろと、言ったのだ。
現在でも、禅宗の寺で、毎日、行われている「掃除」や「作務」は、このことを、求めるために、行っている。まず、外見を整える、その先に、悟りがあるようです。