クレオパトラ 5年5月29日(月)19時35分

堅実さん

 映画、クレオパトラ。ローマ皇帝に、謁見する場面。この頃の映画は、ベンハー、アラビアのロレンス。北京の55日など、大作が作られている。

この時のクレオパトラの衣装は、金を、ふんだんに使い、その豪華さが、売り物だった。

 

クレオパトラ、ローマ皇帝との謁見

https://www.youtube.com/watch?v=s6QYHLRngbI 

 

この頃からか、映画は次第にすたれていく。TV中心になった事が、原因である。

また、テレビで、上映された、映画を放送しだしたのも、大きい。映画館に行かなくても、1,2年待てば、TVで放映されるからである。

 そのテレビが、インターネットで、低迷している。これも時代の流れか。


知る限りではドクトルジバゴが、最後だろうか。

 

5件のコメントがあります
1~5件 / 全5件
7月2日に宅建講習会のため前橋市に行きます。お会いしたいです。宜しくお願い致します。


  • エリザベス・テイラーの出演料100万ドルは当時史上最高額。
  • しかし 撮影の遅延や テイラーの病気療養などに支払われた保険金、
  • 撮影に使用された70mmトッド-AO方式からの権利金の一部(同社を設立したのは 飛行機事故で死亡したテイラーの前夫マイケル・トッド)、
  • 再使用料など 諸々の 収入が これに加算され、
  • テイラーは本作で合計で700万ドル 近い巨額 を稼ぐ。
  •   
  •             ↓
  •        126億円 相当になります。
堅実さん こんばんわ。

クレオパトラの 金の衣装。どのくらいかな。1億とか、2億とかですか?。
      ⇓

調べてみました。

クレオパトラ を 演じた エリザベス・テイラー の 衣装代と ギャラ?

24金で作られた ゴールドケープ 含む 彼女の 衣装代 当時 19万ドル。
1963年当時 為替は 1ドル=360円です。 当時の日本円でも 6,840万円

米国の 物価上昇 は 1987年→ 2022年 でも 250% です。
1963年 → 2022年 となると 倍 の 500% 位 と思います。

● 映画「クレオパトラ」の エリザベス テイラー衣装代:
 6,840万円 × 5倍= 3億4千万円(今の 日本の お金感覚 に換算して )

● 映画 1本の ギャラ:
100万ドル × ドル=360円 として 3億6千万円(当時の日本で)
1963年→2022年 米国物価 5倍化 として 
3億6千万円×5倍= 18億円 (今の日本の お金感覚に換算して)

もっと 行くような気もしますが・・・。


● 映画「北京の55日」
で、故 伊丹十三 さん が  演じる 颯爽 とした 風情 の 日本の陸軍軍人 のことが 気 になり、 ウイキペディア で 調べてみました。

柴 五郎(しば ごろう):1860年~1945年 日本の 陸軍軍人(旧 会津藩 藩士)と云う方 でした。

( 義和団の 乱 での エピソード)

1900年(明治33年)3月、清国 公使館附 駐在武官 を 命ぜられる(40歳)。
着任後すぐの 5月、「義和団の 乱」  起こる。暴徒 が 各国の大使館を 取り囲む。

すぐさま 柴 は、英・米・仏・露・独 等 11ヵ国の 居留民 保護 の 任 に着く。 他国軍と 協力して 55日 に 及ぶ 篭城戦 を 指揮。 総指揮 は 英国公使 クロード・マクドナルド も 柴の 勇敢さ と 礼儀正しさ に 大いに 心 を 動かされ 深く信頼し 芝 に 籠城軍の 実質の 指揮 を 任せたそうです。

事変後、 英国 ビクトリア女王 や 各国 政府から 勲章 を 授与される。ロンドン・タイムス が 社説で、「 籠城中 の 外国人の 中で、芝 ほど 男らしく  奮闘し、その任務 を 全うした 軍人 は いない。彼 の 武勇 と 戦術 が、北京籠城戦 を 持ち 堪えさせた 」と 称えられる。


芝 の 優秀さ:

当時、北京 には 日本 の 他に 11カ国 が 公使館を 持ち、 日本を 含む 8ヵ国が 多少の 護衛兵 を 持っていたが、柴は 着任後 直ぐに 北京城 及び その周辺 の 地理 を 調べ 尽くした上、更に 諜報者 を 駆使して 情報網 を 事変前に 築き上げていた。(着任後、僅か 2カ月で ですから 誠に 優秀ですね )

芝 の パーソナリティ:

持ち前 の 進取 の 気性(精神) で  国際性 や  語学力、情報収集 能力、作戦立案 能力 を 身に着けて 行ったことが その キャリア から うかがえました。

1877年(明治10年)会津戦争 敗者の立場も 敢えて 陸軍士官学校 に進む(17歳)
1880年(明治13年)士官学校を卒業。同期には 国際派の 上原勇作 や 秋山好古 
1894年(明治27年)参謀本部員を経て 英国 公使館付 駐在武官赴任(34歳)
1895年(明治28年)日清戦争 出征 同年9月イギリス公使館附に復帰
1898年(明治31年)米西戦争 視察 の 命令 を受ける(38歳)

ワシントンD.C. 日本公使館付 武官に着任。直ぐさま 米国 陸軍 第五軍団 の キューバ ・サンチャゴ 上陸作戦 、 サン・ファン 攻撃作戦 に 同行。柴は サンチャゴ市内 へも 入り スペイン軍側 からも サンチャゴ 攻防戦 の情報 を 集め 分析調査した。

(感想)

物事に 躊躇なく、何にでも 直ぐに 取り掛かる、自分の眼 で見て 判断する 、その姿勢 と云うか 、進取 の 精神(気性)と云うか・・ 誠に 羨ましい 人物でした。

堅実さん
万物流転 さんへ

ありがとう、ございます。
このクレオパトラの、金の衣装。どのくらいかな。1億とか、2億とかですか。


堅実さん 今晩わ。

いずれも 懐かし の  スペクタクル 超大作 映画 ですね。
堅実さん が 取り上げて くれなければ、半ば  忘れてかけていた処 でした。

『 北京 の 55日 』 と『 アラビアの ロレンス 』は中学生の 時 昔 の 東急パンテオンで 観ました。 どちらも 大迫力  素晴らしかったです。歴史の勉強 にもなりました。

『北京 の 55日』

1963年 日本公開。清朝末期の 義和団の乱、首都北京に 義和団が 押し寄せて、外国人居留区が 包囲されて 11か国の居留民が 籠城して55日間を 戦った物語 。

若かりし頃 の 故 伊丹十三さん が 日本軍 の将校役 で 出ていました。

『 アラビア の ロレンス 』

1963年公開  名優 ピーター・オトゥール 主演。
実在の 英国陸軍 将校 エドワード・ロレンス が 砂漠の民 を 率いて、オスマン・トルコ帝国 から アラブ 独立を 勝ち取った 戦い を 描く。

広大 な 白い砂漠 、 遥かなる 地平線 、 まぶしいほど の 大夕陽 、
美しい テーマ曲・・・、 ロレンス が 跨った ラクダ が 駆け抜ける シーン  覚えています。

超大作映画 『クレオパトラ』

後年、 TV で鑑賞。
本作 により 20世紀フォックス は 破滅の危機 に 陥ったそうです。
楊貴妃 や クレオパトラ・・・ 本物 も 映画 も 金食い虫 ですね。

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