戦後処理の日々を経験して示して具体化した行動

私は九州の幼い時から治安を良くする為に資産を運用して、
昭和の九州戦争と比喩されていて、やくざの山口組と九州連合の
抗争を資産を運用してベトナムを舞台に抗争で命を懸けるならと
ビジネスで稼ぐ事を提案してベトナム復興を成し遂げて、
日本は世界大戦の事件を昭和天皇でも止められなかった事を
声明として私が九州でのやくざ達を束ねて事業を興し終戦させて
同時に戦争の惨さを意見して世界に戦争には正しい勝負は無いと
言ってベトナム復興を成功させて日本の平和の言葉を導いていた。
4件のコメントがあります
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なんでやねんさん、こんにちは、コメント感謝します。
私は戦後処理で苦労して同じ抗争で命を懸けるならと言って、
ビジネスの課題で命を張って稼いで資産を築いて行こうと束ねて、
戦争への日本の態度を示しました。
ちわ~す。戦後処理も夜桜銀次も処理したのですね。炭鉱関係者で伝説の夜桜銀次とも関係のあった凄か人だったですね。
堅実さん、こんばんは、コメント感謝します。
温かくなって金融市場の株式も四季報が発売され
証券市場も花粉で商売出来そうです。
これから日本のJIS規格の改良された規格で精錬された製品が
海外からの求めで日本国内の起業から問い合わせが来て忙しく
なりそうです。日本の人件費の賃上げで、国会議員のモラルの
低さに、企業が代理で模範となるモラルを教育して行く人材を
束ね築き上げて行くでしょう。
堅実さん
ちわーす
温かく、なりましたね。花粉が、心配です。

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