アサヒ電機での自動車電話の開発

アサヒ電機は当初は無線機を扱っていた会社で
ライバル企業が多く周波数を合わせ電話会社を
子会社化して自動車電話を昭和53年に造って無線業界に
打って出た失敗もありお役所の張り込みなどを経験して
小規模に始め、兼業をしないと経営をしていけない程に
お役所の監視がきつく制限されてました。
そして自動車電話は多機能に造ってラジオイベントや
ライブ放送のニュース速報などに使う事務所代わりに
使って工事現場などの公共工事などの会社から依頼され
図面などを送信出来る機能を持たせてました。
その頃に兼業してたのがリクルートの営業職でした。
アサヒ電機の伝手を使って求人職の営業をして歩合制で
勤めてました。お役所の張り込みで給料遅延になってました。
電電公社の電話機のダイヤル式からプッシュ電話機に変えて
ましたが人の脳の訓練になっていた電話機でしたが、記憶が
出来る機能を搭載させたのが人間の脳の衰えに繋がったと
思うと、この先の制作意欲が掻き立てられます。
2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件
こんにちは、堅実さん、コメント感謝します。
私の場合はアサヒ電機の給料が遅れる事になってリクルートの
求人営業で仕事を兼業して自動車電話の営業も兼ねながら銀行からの
融資やリクルートの投資を受けながら電電公社の役人から嫌がらせの
派遣を受けながら生産を続けてました。
この時期は江副氏と机を並べる頃だったので運があったのだと
思います。

堅実さん
ISAY企画  さんへ

これからは、電気自動車の時代ですね。
昨年の日経新聞で、年末、池袋駅の近くの公園で、ボラんテア団体が、弁当を配っているという、コラムがありました。
偶然、そうなってしまった人達、この寒さの中で、どうしているのかと、思います。



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