ライバル企業が多く周波数を合わせ電話会社を
子会社化して自動車電話を昭和53年に造って無線業界に
打って出た失敗もありお役所の張り込みなどを経験して
小規模に始め、兼業をしないと経営をしていけない程に
お役所の監視がきつく制限されてました。
そして自動車電話は多機能に造ってラジオイベントや
ライブ放送のニュース速報などに使う事務所代わりに
使って工事現場などの公共工事などの会社から依頼され
図面などを送信出来る機能を持たせてました。
その頃に兼業してたのがリクルートの営業職でした。
アサヒ電機の伝手を使って求人職の営業をして歩合制で
勤めてました。お役所の張り込みで給料遅延になってました。
電電公社の電話機のダイヤル式からプッシュ電話機に変えて
ましたが人の脳の訓練になっていた電話機でしたが、記憶が
出来る機能を搭載させたのが人間の脳の衰えに繋がったと
思うと、この先の制作意欲が掻き立てられます。