白洲次郎・白洲正子 武相荘折々のくらし

小督さん
小督さん
白洲次郎生誕120周年にあたり、
白洲次郎と白洲正子の武相荘での暮らしぶりに焦点を当てた特別展を鑑賞してきました 

年代物の着物やお道具そして書物など見応えがありましたが、
ふたりとも当時では貴重な海外留学を経験しながらも
日本文化への深い傾倒を感じさせます  

正子は古い茶碗などをしまっておくのではなく、
「使っていた時間が楽しければ壊れたっていいじゃない」と使っていたそうですが、
次郎は箱書きに自分のメモを書き込んでいました 

骨董品や有名作家のお品を普段使いにできるとは、
とっても贅沢で羨ましい。
私にはちょっとできないです 

ふたりが暮らした「武相荘」。 
いつか行ってみたいと思うけれど、東京都町田市にあるのですね。 
兵庫県三田市の「心月院」が墓所とのことで、
「武相荘」に行くよりも「心月院」の方が私的には近そうです

【白洲次郎 1902-1985】
兵庫県生まれ。
英国に留学し、ケンブリッジに学ぶ。
戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝に当たり、
日本国憲法の成立にも関わる。

【白洲正子 1910-1998】  
樺山伯爵家次女として東京に生まれる。
幼いころから能を習い、14歳で女性として初めて能舞台に立つ。 
随筆家。

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14件のコメントがあります
1~14件 / 全14件
小督さん
I SAY企画プロダクションさん 
おはようございます 

親が入院した時はこちら側で一旦お金を支払い、
後で保険会社に請求していました。
でも、病院から直接保険会社に請求書を送ってもらって、
差額がある場合は後でこちら側で支払うこともできたと思います 

ただ私もあやふやなので、その都度確認しています 

自転車の事故、多いですね。 
ニアミスを含めて私も過去に何度かありました
こんばんは、
保険は医療に掛かったお金は病院に振り込まれる仕組みに
なったのでしょうか。過去にはこの問題で立て替えて請求する事に
なっていて高額な金額になるのですが、過去と現在では変わった
のでしょうか。私も自転車保険が東京都は義務化になったので加入を
しました。
小督さん
I SAY企画プロダクションさん 
こんばんは 

医療は苦手分野ですが、
身内が病気となると私も勉強しました 

そして、ちょうど保険の切り替え時だったこともあり、
次回より先進医療特約もつけてもらうことにしました  

お金を払うことによる、厄除けでもあります
こんばんは。
私は母の癌の闘病のデーターで治験などを集めてました。
そして病院を変わる度にデーターを集めDrに相談してました。
さすがに保険に掛かってないとDrは動かせませんでした。
小督さん
yoc1234さん 
こんばんは 

先人の生き方に、心揺さぶられる時ってありますよね 

投資が成功したり、予期せぬお金が舞い込んだ時に、
自分の娯楽に使ってはいけない、と思う時があります 

おそらく、これは自分の努力が実って得たお金ではないんですよね。
そんな時は勘違いしないように気をつけています

お金の行き先はそれぞれ思うところでいいと思っています
小督さん
漠羅天さん 
こんばんは 

美術館だったらリスクは低いだろうと思いましたが、
客層はやや高めの50歳以上でしょうか 

2年ほど前に生田斗真が白洲次郎役を演じたそうですが、
白洲の名前はよく聞くように思います。
地元だからでしょうかねえ・・・  

三田藩だったら私の家とは全然関係はないと思うのですが、
最近ちょっと気になっています
yoc1234さん
こんにちは。

いい人の伝記読むと心が広がる。

お金を使えるうちに使い、

世の中のために使いたい。


漠羅天さん
こんにちは^ ^

久しぶりのイベントブログですね^ ^
白洲次郎、名前は知っている程度ですが、兵庫県の人だったんですね
小督さん
ISAY企画プロダクションさん 
こんにちは 

私は健康保険はほとんど使わないし、
医療保険(と言っても共済ですが)は未だ使ったことがありません。
これが有難く思う時はかなりしんどい目に遭う時なので、
使わないで払う方がいいです 

国庫に入るなら国のために役立っている、
自分を善良な市民だと思いましょうよ
こんばんは。
財を成してはいるものの、税を逃れて国庫に蓄えていますので
自分の自由にはなりません。
小督さん
I SAY企画プロダクションさん 
こんばんは 

GHQ時代の頃ですから、知らない人が多くて当然だと思います 
他には貿易庁長官に就任、通商産業省を設立、
東北電力の会長に就任などですか 

某宗教団体がクローズアップされ、貧困の問題と言って良いのか、
社会問題が噴出している今の世のありようはいろいろ心配です 

財を成しているのでしたら、成功ですね 
小督さん
堅実さん 
こんばんは 

白洲次郎は外交官ではなく、
「終戦連絡中央事務局」の参与だと思います。 
今も昔も仕事はコネ・縁故の世界です 

白洲正子の名前を聞くと、
「大覚寺は白洲正子がとってもお好きだったのよ」、
とお能を学んでいる人に何度か言われたことを思い出します 

富裕層は良いものを実体験として知っていますから、
知識豊富なお話を聞くのは私は好きな方です 

庶民の心がわからない施政者はやがて淘汰されます 

富裕層には富裕層としてするべきことがあるのですが、
それを知らないのかやっていない人大杉ですね
こんばんは。
私は白洲次郎を知りません、私は子供の頃に生活保護で暮らす
方達を見ていて財源を得る事ばかり考えてましたので、社会に出て
学んで財を成していたので学がある人が羨ましいです。
生活保護を受給されてる方は多いので働けど働けど我が暮らし楽に
ならずじっと手をみると言う句は存じております。
堅実さん
ちわーす

「【白洲次郎 1902-1985】
兵庫県生まれ。英国に留学し、ケンブリッジに学ぶ。戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝に当たり、日本国憲法の成立にも関わる。」

白洲次郎と言えば、外交官ですね。もう何年前かな。1980年頃、華麗な生活の人として、新聞か何かで、見ました。奥さんの白洲正子 も、華麗な人として、書いてありました。その時はネットも無ければ、調べる方法も無かったので、一体、この夫婦は何者だと思ったものでした。
その後、アメリカ政府と、外交官として、折衝した人であることが、わかりました。
世の中には、生まれながらにして、華麗な人が、いるものだと思いました。それ以来、こんな人には会っておりません。
ただ、この人は、庶民の心が分からない人ではと、思っております。
あまりにも、生活が豊か過ぎているので。




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