堅実さんのブログ
横手曹長(横田曹長) 4年8月15日(月)11時07分
ここでは横手曹長としておきます。(横田曹長かもしれません)
昭和20年頃です。場所は現在の高崎市です。旧群馬郡群馬町です。前橋飛行場です。ここは、飛行兵を訓練するための飛行場です。わたしが幼い頃、コンクリートの滑走路跡が未だ有りました。桑畑と、畑の中の滑走路です。
横手曹長の生まれは、中国地方で、現在の広島か岡山か山口かこの辺りの出身です。家族は親がいなくて、どういう訳かわかりませんが、継母に養育されたということです。
この頃は、食糧難の時代で、家庭の収入も現在よりは数分の一で、食べ物にさえ不足していた時代でした。この頃よく聞いた話ですが、母親の無い子供はよく、虐待されたことを聞いております。アニメの「蛍の墓」にもあります。
横手曹長は、この厳しい生活から何とか生活するために軍に入りました。そしてこの航空兵の飛行訓練所、「前橋飛行場」に来たのでした。
そこでも食糧が乏しく、私の親戚の家(農家)に2人くらいで来て、何か食べ物は無いかと、貰って食べていました。私の親戚では、そこで横手曹長の生い立ちを聞いたのです。今ではほとんど、食べないですが、芋を吹かしたものをあげると、喜んで食べたということです。
何度か来るうちに、横手曹長に出撃の命令が下りました。特攻です。これは一度、群馬県から他の県への移動だったのかもしれません。沖縄作戦としては、群馬県は遠方すぎるからです。
その前日、横手曹長が渡す人がいないというので「形見の品」を親戚のおばさんに渡しました。そして「明日、飛行機での家の回りを、二回飛ぶので、見てくれ。」と言って帰りました。
翌朝、庭に立っていると、飛び立った飛行機が、家の周りを2回旋回し、ハンカチを振っているのが見えました。そして羽を数回、左右に上げ下げして、去って行きました。
これが叔母の話です。考えると、何とも薄幸の人です。生まれながらに、苦労して、およそ人の幸せというものを感じずに、若くして世を去ったのです。
今、自分の周囲を見ますと、「こんなもの、まずくて食えるか。」という人に、このことを話してやりたい気持ちです。
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I SAY企画プロダクションさん2022/8/15 22:16こんばんは。私の伯父が特攻で後一日で出撃する処でした。その話を母は伯父が家族の元に来るたびにお菓子やタバコやコンビーフなど土産に持って来たそうです。
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堅実さん2022/8/16 00:29ISAY企画 さんへきわどい処で、助かりましたね。
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888ちこさん2022/8/17 01:08こんばんは。哀しくなるお話ですね。堅実さまの叔母さまは良いことをなさったと思います。おそらくその横手曹長さまは、食べ物と同時に、人の情けも受け取っていたのではないでしょうか?
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堅実さん2022/8/17 09:33888ちこ さんへ「哀しくなるお話ですね。堅実さまの叔母さまは良いことをなさったと思います。」もう特攻で、命短いのだから、せめて、このくらいはと思ったのでしょう。「おそらくその横手曹長さまは、食べ物と同時に、人の情けも受け取っていたのではないでしょうか?」横手曹長にも、親類、縁者は、いたのでしょう。しかし、もう、頼れない。孤独でいきるしかないと、思っていたのでしょう。形見の品を、叔母に託したというのは、これが、家族の味かと思ったのかもしれません。いずれにしろ、薄幸の人でした。家の周りを2周して、飛んでいったというのも、切ないですね。
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りす栗さん2022/8/17 09:46こんにちは。あの憎まれ役のロシアでも戦士しているのは、貧しい地方の人々や少数民族のようですね。ロシアも衰退か、と思ったら、おっとどっこい、そう単純にはいかないもようです。
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堅実さん2022/8/17 09:57りす栗 さんへ「あの憎まれ役のロシアでも戦士しているのは、貧しい地方の人々や少数民族のようですね。」そうですか。プーチンのやりそうな事ですね。「ロシアも衰退か、と思ったら、おっとどっこい、そう単純にはいかないもようです。」今後、どうなるか。