堅実さんのブログ
歎異抄を見る 4年6月26日(日)12時54分
こころのじだい、歎異抄(たんにしょう)を見る。
第三条は、悪人正機説を明快に説いたものとして、「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は現在でもよく引用されている。詳細は、悪人正機を参照のこと。(ウイキより)これは教科書には必ず出てくる箇所である。
しかし、ここは難しくて、いまだに解からない。善人とは何か。おそらく、空海や最澄の様に、仏道の教えがよく分かり、それを実践している人を指すのであろう。よくわかり、直に、仏道に励んでいる人を、一例として、上げてみた。
悪人とは、善人にはなれない、その他、大勢の人々であろう。悟る事も出来ない、常に煩悩に煩わされる人々である。
そして、それなら、もう諦めようと、半ば、ふてくされた心の状態であろう。そんな人に、阿弥陀仏は、救いの手を差し伸べる。もう、この世では、どうにもならない、苦悩で悩んでいる人に極楽浄土への道を、案内してくれるという。
みん株を見ていても、喜怒哀楽のブログばかり。このような人々にも、阿弥陀様は、救いの手を差し伸べる。更には、救いなど、もういらないや、地獄に行けば、それでいいんだと、いう人にも、救いの手を、差し出すという。
鎌倉時代は、武士が台頭した。武士は人を殺す。また、猟師は、生き物を殺す、漁師は、魚を殺す。遊女は、生きるために、見を売って、それで、生活をする。そのような人にも、阿弥陀様は、救いの手を差し出すという。
ただ、信じようが、信じまいが、それは、どちらでもよい。ただ「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ・なむあみだぶつ)と、唱えれば、それだけで、人は極楽へと行けるという。
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I SAY企画プロダクションさん2022/6/26 14:51こんにちは。私は性善説などを学んで善根を尽くし経営にあたる事を常としてますそして私は今回のウクライナ問題はローマ法王が説教している様に、宗教戦争に巻き込まれる事は私の意に沿いません。
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風車の弥吉さん2022/6/26 15:52こんこん。歎異抄 何度読んでも 解らない 季楽庵
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堅実さん2022/6/26 23:53ISAY企画 さんへ「私は性善説などを学んで善根を尽くし経営にあたる事を常としてます」これも、一つの考えです。
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堅実さん2022/6/27 00:04風車の弥吉 さんへ「歎異抄、悪人共には、役に立つ」これは、悪事をした人には、便利では。何故なら、犯罪を、犯しても、南無阿弥陀仏と、唱えれば、極楽往生できるのだから。しかし、当時は、平安時代から、疫病、飢饉、武士による殺害、生活するのは、困難な時代を考えれば、そして学問など出来ない、朝から晩まで労働する毎日で、学ぶことなど出来ないことを考えれば、そのような時代背景から、出てきたことは、一言いえば、極楽に行けるというので、大流行したと、考えます。
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アイビーあずささん2022/6/27 00:25今晩は、堅実さん。難しいことは分かりませんが。。。土日で出かけて、お寺も行ったので南無弥陀仏と手を合わせてきました。
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堅実さん2022/6/27 08:53アイビーあずさ さんへ「南無弥陀仏と手を合わせてきました。」それで、極楽に行けますよ。鎌倉時代は、文字を読める人もほとんど、いないので、何だかわからないが、漢字で書いてあるのを見ると、凄いことが、書いてあると、人々は、思ったのでしょう。そんなお経を読める人が、言ったのだから、これは、本当だと、思ったのでしょう。自分は、お経を読めないけれど、こんな一言で、この苦しい世界から、あの世は、楽しい、極楽かと、思ったのでしょう。「なんまいだ」が、庶民には、流行したらしいのでは。
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I SAY企画プロダクションさん2022/6/28 00:54こんばんは。私は命の危機を乗り越え蘇った人生です。そして5千万円の墓は高かったのですが、自分の寿命を買って長生き出来るなら安価だと思うようになりました。私は浄土宗ではありませんが墓参りの付き合いで菩提寺と付き合ってます。管理費が安いので助かってます。
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堅実さん2022/6/28 10:16ISAY企画 さんへ「そして5千万円の墓は高かったのですが、」これは、異常に高すぎます。私は、墓は、要りません。