経営学の世界的ベストセラーにクレイトン・クリステンセン著『イノベーションのジレンマ』がある。過去の成功体験が自己変革の足枷となり、競争力を失っていく危険を指摘した書である。新潟県は日本一の米どころである。良質米コシヒカリは価格も高く、新潟の農家は潤ってきた。しかし、コメ過剰、米価下落の今日、新潟の農業はクリステンセン仮説の危機に直面している。本稿は新潟農業に対する問題提起である。
1、新潟農業の概要(予備的考察)
新潟県は日本一の米どころである。全国の米生産の8.3%を占め、不動の第1位である。しかし、農業生産額全体では県別ランキングの上位5位に入れない(表1)。また、主要な作物別に見ると、米以外では新潟県の名前を見ることができない(表2)。新潟県は米(コシヒカリ)に特化した農業である。農業産出額に占める米の割合は61%を占める。特に越後平野は水田単作地帯で、米モノカルチャー農業と言っても過言ではない。
農家の経営耕地規模は、越後平野は2-3haが多く、都府県の1ha程度に比べ大きい。土地条件に恵まれていると言えよう。ただし、中規模農家が多く、大規模農家への土地集積はトップランナーではない(後述参照)。
◇新潟産コシヒカリの価格競争力
もう一つ特筆すべきことは、米の価格競争力の強さである。新潟は自然条件に恵まれ、良質米の産地として有名である。コシヒカリの製品差別化に成功し、米価が高い。平成15年(2003年)4~6月当時、ブランド米の魚沼産コシヒカリは60㌔当たり3万3000円で取引されていた(同じ新潟産一般コシヒカリ2万1368円)。宮城産ひとめぼれ1万8172円、秋田産あきたこまち1万8663円、山形産はえぬき1万8846円より、約80%も高値であった。
米価はその後、市場の需給を反映し、一進一退を繰り返しながら下落傾向をたどるが、新潟産は相対的に高価格を維持している。平成26年産(9~12月平均)は、過剰供給のため全国全銘柄で3割前後の価格下落が見られるが、新潟産の値下がり率は比較的小さく、15%程度の下落率で済んでいる。しかし、それでも、魚沼産も初めて2万円を切った。ただし、他産地との価格差は依然大きく、魚沼産は全銘柄平均に比べ59%も高値である(新潟産一般コシヒカリは26%高)。
以上の事実から、二つのことが指摘できる。
1、新潟の良質米は製品差別化に成功し高い価格で取引されている。特に魚沼ブランドは然り。
2、しかし、米の過剰供給傾向の下、新潟産米も価格下落が避けられない。(魚沼産も平成26年産は平成15年産に比べ4割も値下がりした)。
2、新潟は階層分解が遅い
◇規模拡大のスピードは速い(全国)
全国的に、農家の規模拡大が急速に進展している。世界農林業センサスによると、2010年現在、都府県だけでも、100ha以上の農業経営体が313もある。5年前は159であるから、わずか5年で倍増である。大方の予想を超えるスピードだ。
この5年で大きく増えた階層は、30~40ha2.4倍、40~50ha2.5倍、50~100ha2.5倍である。逆に、小零細規模の3ha未満層はマイナス20%、5ha未満もマイナスである。これは2010年までの5年間の変化である。(拙著『新世代の農業挑戦‐優良経営事例に学ぶ‐』全国農業会議所刊、第7章参照)。
“規模拡大”という点だけでいうと、永年の農政の課題は達成される勢いである。現在の安倍内閣の農政、「減反廃止」や「農地集積バンク」が実施される前に起きている現象である。農政改革の効果ではなく、農家の後継者不足等の社会変動の効果である。
農業は作物によって違うが、規模の利益が大きい。特に、土地利用型の稲作は規模の利益が大きい。家族経営による20ha限界説があるが、技術体系が変わることによって、規模の利益を享受できる上限ははるかに大きい。米価下落に見るように、市場原理の浸透により、農産物価格は低下トレンドにある。規模拡大によるコストダウンは農業経営者にとって追求すべき課題であるが、ようやく規模拡大の動きが加速してきた。
◇新潟の階層分解は遅い(都道府県別)
しかし、地域別に見ると、日本一の米の主産地・新潟県は階層分解が遅い。表4に見るように、100ha以上の経営体数は、新潟は8戸に過ぎずない。岩手42、山形32、青森29、宮城25に比べ少ない。50ha以上で見ても、岩手167、宮城127、山形94、青森91、秋田73に対し、新潟は69である(農家総数は新潟の方が多いにもかかわらずである)。富山は農家総数は新潟の3分の1以下であるにも拘らず、50ha以上が77もある。新潟県は、農家の規模拡大の動きが東北・北陸の中では鈍いと言えよう。
表5は、経営耕地規模別の面積を見たものである。全耕地に占める30ha以上規模の経営体への農地集積は、岩手21%、富山24%、山形14%、宮城14%、青森13%、秋田10%に対し、新潟は7.7%である。都府県平均は9.1%であるから、新潟はそれよりも低い。新潟は全国平均に比べても、農地集積の動きが鈍い。大規模農場への農地集積の動きは、新潟は比較的緩慢である。農家の階層分解が遅いと言えよう。
◇新潟は中堅層の割合が多い
新潟は中規模層が比較的多い。表5に示すように、2~10ha層への耕地集積は51%である。逆に、2ha未満の小零細規模は29%で都府県平均の43%より少ない。また、30ha以上の大規模層も7.7%と、都府県平均より少ない。つまり、新潟は小零細規模も少ないが、大規模も少ない。特化係数でいえば、2~10ha層137、2ha未満層68、30ha以上層85である。新潟は中堅層(特に3~10ha層)への耕地集積が進んでいる。
大規模層への耕地集積が大きく進展しているのは、岩手(30ha以上層の特化係数229)、富山(同260)、山形(同155)、宮城(同154)、青森(同144)である。次いで、秋田は10~30ha層、石川は20~30ha層の特化係数が高い。
3、コメ過剰・米価下落の時代
新潟県は、全国有数の農業県として発展してきた。良質米コシヒカリの価格競争力の成果が大きい。しかし、時代は大きく転回しようとしている。
人口一人当たりコメ消費量(純食料)は、1962年の年118kgから、2013年には57kgと低下してきた。米を食べる量が半分以下に減ってきたのである。それに加えて、最近は高齢化と人口減が重なっている。その結果、米の国内食料消費量は2003年度の894万㌧から、2013年度には800万㌧と、この10年間で94万㌧も減少した。
国内消費の減少が続くという事は、米は過剰供給の傾向が続くことを意味する(米が輸出産業化しない限り)。長期趨勢としては米価の下落は避けられないであろう。図1はそれを示唆している。
◇高米価と経営サイズが階層分解を抑制
従来、新潟は米モノカルチャー型でありながら、農家は比較的豊かであった。越後平野は農家の経営規模が比較的大きく、加えて米価が高かった。農家の経営耕地規模は2~3haと大きく(都府県の典型は1ha未満)、米価も他産地の1万5~6000円に対し、越後平野産コシヒカリは1万8000円であった。一方、中山間地の魚沼地区は、経営サイズは小さいが(1ha未満)、魚沼ブランドは2万5000~3万円の高値であった。
農家収入を試算すると下記のようになる。
越後平野 2ha、単収9俵/10a、18,000円/60kg ⇒粗収入324万円
魚沼地区 1ha、単収9俵/10a、25,000円/60kg ⇒粗収入225万円
都府県平均 1ha、単収8表/10a、15,000円/60kg ⇒粗収入120万円
新潟の稲作農家は収入が多い。ほとんどが兼業であるから、上記の収入のほかに兼業所得がある。先に、新潟は大規模農家への土地集積が少し遅れ気味であると指摘したが、それは合理的な理由があったのである。農家の所得水準が比較的高い以上、離農に伴う土地集積が進まないのは当然だ。農家の階層分解が遅れているのは、上述のような恵まれた条件が存在したからである。土地の流動化は、農家の高齢化と農機の更新時期の到来を待つことになる。
しかし、いま、時代は転回し始めた。第1に、過剰供給、米価下落の時代に入った。新潟農業を支えた高米価という要因に陰りが生じてきた。第2に、有力なライバルが現れてきた。特に北海道の稲作の台頭が著しい。例えば、北海道の「ゆめぴりか」は食味が良く、新潟産の一般コシヒカリや岩船産・佐渡産コシヒカリよりも高価格で取引されている。しかも、経営耕地規模は北海道の方が圧倒的に大きいので、コスト競争力も高い。北海道産の食味向上に伴い、越後平野の稲作は有力なライバルが現れたと言えよう。新潟農業の豊かさを支えてきた要因が崩れつつある。
減反に苦しんできた新潟農業であるが、それはまだ高米価の下での話、「氷雨」程度のものであったろう。しかし、今後は新しい試練の時が訪れるであろう。今までのブランド効果による高米価等の好条件がむしろ足枷になり、イノベーション競争上、他産地に遅れる危険がある。敗者転落の危険である。
4、イノベーターのジレンマ
米国ハーバード大学のクレイトン・クリステンセン著『イノベーションのジレンマ』は世界中でベストセラーになった(Clayton N. Christensen, The Innovator’s Dilemma, 1997。邦訳[増補改訂版]2001年)。クリステンセンは過去の成功体験が自己変革の足枷となり、競争力を失っていく危険を指摘した。新潟の農業はクリステンセン仮説の危機に直面しているのではないか。
新潟県の農家は経営規模が比較的大きく、そして良質米コシヒカリは価格も高いため、新潟の農家は潤ってきた。好条件に恵まれてきたため、農家の階層分解が遅れ気味である。第2節で分析したように、中規模層は多いが、大規模層への耕地集積は他産地に比べ遅れている。今まではそれが合理的だったのである。しかし、米価が下がってくると、規模拡大によるコストダウンを追求できないと、利潤圧縮に見舞われる。
経営規模3~10ha程度でも、高米価の下、比較的豊かな農家であったため、それが足枷になって農地の流動化が抑制され、規模拡大のイノベーションが緩慢であった。仮にこのままの状況が続けば、新潟県は後塵を拝することになろう。一方、米価も下がる。稲作のトップランナーの地位を他産地に譲ることになろう。
もちろん、これは宿命論ではない。条件の変化に対応して、農地集積、規模拡大への動きが活発化すれば競争力を維持できる。その可能性は十分ある。高米価の下、兼業で2~3ha水田経営することは合理的であったから、階層分解が遅れただけである。条件が変われば、高齢化、農機の更新時期の到来とともに、農地の流動化が起きるであろう。農家は合理的選択をするであろう。筆者は悲観論には立たない。
水田農業は「ビッグ・イノベーション」の時代に入っていく。規模拡大だけではない。「水田だからコメを植える」のではなく、輸入の多い飼料作物(トウモロコシ)への転作、あるいは稲作の後の冬期に飼料作物を栽培するなど、経営形態の転換が進むであろう。“水田裏作”の飼料作物としてはライ麦が最適である。また、「田植え」を止め、直播にすれば、大幅に省力化し、コストダウンできる。水田農業は単収増などの栽培技術の向上だけではなく、経営上の大転換が迫っている。「ビッグ・イノベーション」と表現した所以である。(注)
(注)拙稿「水田農業のビッグ・イノベーション(1)(2)」『週刊農林』2014年10月5日号、同15日号。また、拙著『新世代の農業挑戦‐優良経営事例に学ぶ‐』全国農業会議所刊2014年、第1部5章参照。
新潟農業は、クリステンセン仮説に従うか、水田農業のビッグ・イノベーションを展開するか、岐路に立っている。
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