日本の養蚕業は典型的な衰退産業である。しかし、世界の養蚕業は「成長産業」である。世界の生糸生産量は2000年の11万㌧から、2012年には16万㌧に増えた。シルクは高級材であり、先進国・高所得国で消費が伸びている。蚕糸絹業の需要と供給の構造は、消費は先進国、供給は発展途上国であるが、日本の養蚕業の衰退からシルクを衰退産業とみるのは早計であろう。ミャンマーなど新しい供給国の出現が予想される。
1、世界と日本の成長ギャップ
図1は、世界の生糸生産の推移である。一時的な落ち込みはあるものの、長期的には増大トレンドである。1951年の約2万㌧から1990年8万㌧、2012年16万㌧に増加した。90年代後半に一時的に落ち込みを見せるが、2000年頃から再び増加に転じた。
2000年は11万㌧、2012年は16万㌧であり、上昇トレンドは確認できる。2008年以降の低迷は、シルクの消費国は高所得国であるため、リーマンショック後の経済低迷の影響を受けたのであろう。合成繊維など競合財の出現はあるものの、シルクは根強い需要があると言えよう。(注、FAO統計は2009年以降、中国等が推計値であるが、主産地・広西自治区の繭生産が順調に増大していることから推して、上記の判断に大きな問題はないであろう)。
これに対し、日本のシルク需要は一貫して減少してきた(図2)。輸入主体であるが、シルクの需要は1975年には2万8000㌧(生糸量換算)もあったが、縮減一途をたどり、2012年には1万1000㌧に激減した。
図1 世界の生糸生産の推移
図2 日本の生糸生産と絹需要の長期推移
供給面で見ると、日本のシルク産業の衰退はもっと劇的である。国産の生糸の生産は、第2次大戦前は4万㌧、戦後も1975年は2万㌧もあったが、今はわずか280㌧である。約100分の一。1950年代は日本の生糸生産は世界の約60%を占めていたが、2012年は0.2%である。一方、1950年代には20%を占めるにすぎなかった中国は2012年には約80%を占めるようになった。(日中逆転は1972年)。
養蚕業は明治期に飛躍的に発展し、日本経済の発展に大きく貢献した。生糸は明治、大正と日本の主要な外貨獲得源であり、1880年には生糸輸出額は日本の輸入総額の37%も占めた(山澤逸平「生糸輸出と日本の経済発展」『一橋大学研究年報 経済学研究』1975年)。
生糸輸出で稼いだ外貨で海外から近代技術を輸入したのであるから、生糸は日本産業近代化の生みの親であったと言って過言ではない(注、茶も明治期の主要な輸出商品であった)。しかし、1960年代の高度成長期を経て、70年代以降、衰退過程に入り、90年代以降は壊滅的な状態になった。
以上のように、日本の蚕糸絹業は長期にわたり衰退過程をたどってきた。養蚕業を「衰退産業」と思い込む背景である。しかし、世界の養蚕業は成長産業であることも事実である。
2、世界の需要と供給の構造
養蚕は古代中国で始まり、5世紀にヨーロッパに普及した。19世紀後期(日本の明治期)、世界有数の養蚕国であったフランス、イタリアが蚕の伝染病で壊滅、代わりに日本が輸出国となり、日本の養蚕が発展期を迎え、1900年頃には中国を抜いて世界一になった。かっては日本が世界の生糸生産の6割も占めていた。しかし、1980年代から急激に後退し、逆に中国が再び復興、世界一になった。
世界の生糸産地はよく移動している。シルクの供給国は発展途上国である。現在、世界の生糸生産の約80%は中国である。次いでインド(13%)、ベトナム(5%)が主要供給国になっている。他にベブラジル、ウズベキスタンの新興国も生産国である。
中国の中でも、経済発展とともに産地は変化している(東桑西移)。従来、東部地区の江蘇省、浙江省などが養蚕の中心であったが(東部のシェア60%)、2000年代に入り四川省、雲南貴州省、広西自治区など中西部地域へと移動し始めた。現在、最大の主産地は広西自治区であり、中国全体の生糸生産の4割を占める。養蚕業の産地は東から西への移動が明瞭である。
◇土地生産性は高いが、労働生産性が低い
この「東桑西移」は、養蚕業は土地生産性は高いが、労働生産性が低いことが要因である。杭州電子科技大学の范作冰教授の研究によれば、浙江省の作物別生産性を比較すると、1ムー(1/15ha=6.67a)当たり収入は繭4307元、稲作2226元、緑茶3408元である(2011年)。養蚕の土地生産性は高い(范作冰「蚕糸絹業の国際比較分析」2013年8月20日、農林水産政策研究所セミナー報告。http://www.maff.go.jp/primaff/meeting/kaisai/pdf/0820sansikengyo.pdf)。
一方、労働生産性を比較すると、1日当たり収入は繭112元、稲作232元、緑茶95元、柑橘184元、トマト207元、油菜120元である。農業の中で比較しても、労働生産性は低い。したがって、賃金上昇に伴いコストが上昇すると競争力を失うので、低賃金の中西部地域に産地がシフトしていくことになる。発展途上国が供給国である理由もここにある。
◇シルクの消費は高所得国に集中
一方、シルクの消費は先進国、高所得国に集中している。最大の消費国は米国である。次いでイタリア、フランス、イギリスなど欧州勢、そして中近東である。日本も有数のシルク消費国である。
合成繊維の技術進歩にもかかわらず、先述のように、シルクの需要が上昇トレンドにあるのは、シルクの消費者が高所得者に集中しているからであろう。シルクは価格は高いが、肌触りの良い高級材である。低所得層の消費行動は価格選好が強いが、高所得層は品質選好が強い。また、シルクの価格は上昇傾向にあるが、贅沢品であり、価格弾力性が小さいのではないか。こうした要因が、シルクの根強い需要の背景であろう。
3、日本のシルク産業も転機を迎えるか?
世界のシルク産業は成長産業であるのに、なぜ日本は衰退に向かったか。着物から洋服への変化から、長期的には和装類の需要が縮減一途だからである。しかし、この縮減率は小さくなってきた。つまり、足を引っ張る要素が逓減してきた。また、日本経済にも明るさが一部出てきている。特にシルク選好の強い高所得層で景気復活が見られる。日本のシルク産業も転換点に近づいているのではないか。
一方、先端技術で新しいシルク需要が開発されつつある。東京農業大学の長島孝行教授によると、「カイコのシルクの断面は直径10μmの三角形だが、ヤママユガ科のものは直径が30μmで台形に近い形をしている。しかもある種の糸の中には、一断面に200nmの穴(実際にはチューブ状)が1800個存在する。カイコの糸でさえ、現代の科学技術で作れないといわれているのだから、このようなナノレベルでも特殊な構造をしたものは作られるものではない。従って、この仲間のシルクを利用すれば、カイコのシルクより遥かに軽く、滑らない製品もできる。また、ある種のシルクを使うことで、全紫外線を98%カットする日傘、温湿度調整の 上手な2日間履き続けても臭わない靴下、軽くて柔らかく満員電車の中でも汗をかかないマフラーなど様々な製品が今誕生しつつある」(『新・実学ジャーナル』2011年6月号から引用)。
シルクは高純度の「タンパク質」から成る。この機能性を利用して、非繊維利用でも新しいシルク製品が続々誕生している。防腐剤のいらない美容液、メタボ対策用シルクゼリー、アレルギーの人でも安心して使用できるUVカットクリームなど、医薬品、化粧品、食品加工の分野で新製品開発が進んでいる。長島教授によると、日本の蚕・シルク研究の水準は世界一という。
シルクは欧米の高所得国で需要が伸びている事実、またその高機能性を活用した先端技術商品の開発で日本は強いことを考えると、日本のシルク需要も近い将来、転機が訪れるであろう。
ただし、日本は高賃金・労働力不足の国であるから、1次産業の「養蚕」の復活ではないであろう。シルクの原料は輸入に依存することになろう。
◇ミャンマー養蚕業開発に日本の協力
先に見たように、世界の生糸産地はよく移動している。いま、世界の生糸生産の8割は中国が占め、その中国でも先に経済発展した東部地区から西の広西自治区へ産地シフトが見られる。その先にはミャンマーが見える。ミャンマーは経済が未発達で、豊富な労働力が半失業状態にある。賃金は中国の5分の一と低く、そして余剰労働力は海外への出稼ぎに出ている。養蚕業の発展にいい条件があるといえよう。
いま、ミャンマーでは、日本の協力により、養蚕業の発展に向けた動きが出ている。日本のシルク輸入は生糸の7割、絹糸の6割、絹織物の8割を中国に依存しているが、中国の賃金上昇が激しいので、これをミャンマーに転換しようという動きである。ミャンマー産が中国産に代替できれば、ミャンマーに新しい輸出産業の成立を意味する。
ミャンマーは経済の発展段階が低く、雇用の場が少ないので、海外への出稼ぎ労働者が多い。隣国・タイやマレーシアに300~400万人もの出稼ぎがいる。養蚕業が成立すれば、地方で雇用が創出され、特に若い女性たちが国内で働く機会が増える。一番歓迎すべきことである。
また、日本の明治期に、生糸は主要な外貨獲得源として日本の近代産業の発展に大きく寄与した。ミャンマーにおいても、養蚕業の輸出産業化は外貨獲得でミャンマーの経済発展に大きく貢献するであろう(ただし、100年以上の時間差で産業が多様化しているので、明治期日本ほど貢献度は大きくはない)。養蚕業開発の支援協力は、ミャンマーの経済発展への大きな協力になるであろう。
付表1 生糸生産(日本)の長期推移
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