みかんの花咲く丘、他 2年10月1日(水)23時13分

堅実さん
 みかんの花咲く丘、異国の丘(復員軍人を歌ったもの)、他、何時でも夢を、帰り船(復員軍人の帰り船)など。金さん、銀さんが出てきます。戦後50年と、言っております。

「みかんの花咲く丘」と「リンゴの唄」は、終戦後、初めてといってよいほど、明るい歌になっております。暗い、生活するのが、困難な時代だったのです。だから、こんな。明るい歌が出来たのです。


歌は世につれ、世は歌につれと言いますが、これを見ると、本当にそうだと、思います。その時の時代背景が、あります。


歌は、その、うまい、下手の前に、どのような、内容かと思って、聞くのが良いと思います。


(クリックすると、ユーチューブがでます)

https://www.youtube.com/watch?v=mVlIO966h5A 


戦後の混乱期に、私は、幼かった頃です。ベートーベンの「運命」が、よくラジオから流れました。食べるものがなく、皆、大変な苦労をしました。あの頃から、今を見ますと、よくここまで、復興、経済成長したものだと、思います。


しかし、これからは、この日本は、落ちぶれるのではという、懸念があります。




 



6件のコメントがあります
1~6件 / 全6件
堅実さん

りす栗  さんへ


コメントを、頂まして、ありがとう、ございます。


「昭和30年生まれの自分にとっては、懐メロですが、
幼いころに繰り返し聞いていたメロディはすぐ
思い出すことができます。」


そうですか。お若いですね。


「幼いころに繰り返し聞いていたメロディはすぐ
思い出すことができます。」


ここで、思うのですが、昔の歌を聞くと、その頃のことが、思い出されるのは、よくありますね。

「ちなみに、yocさんのコメントは、こどもの頃に校内放送で、
よくレコードかけてたけど、新しい機械は大人の先生より
生徒のほうがよく使えてた、という意味ですね、きっと(^^)b」


そういう事に、しておきましょう。

これが、私の、性格です。

大勢に、影響しないのは、どちらでも、よいことにするのが、私です。

しかし、そのせいで、誤解も、多くあります。

その場合でも、放っておきます。

変な性格かな。






りす栗さん
こんばんは。

昭和30年生まれの自分にとっては、懐メロですが、
幼いころに繰り返し聞いていたメロディはすぐ
思い出すことができます。

ちなみに、yocさんのコメントは、こどもの頃に校内放送で、
よくレコードかけてたけど、新しい機械は大人の先生より
生徒のほうがよく使えてた、という意味ですね、きっと(^^)b
堅実さん

yoc1234  さんへ



「こういうのレコードでよく流しました。」

コメントは、風車弥吉さんに、書きましたので、略します。

「放送は自分が先生に教える立場でしたので。」


これは、意味がわかりません。





堅実さん

風車の弥吉  さんへ


コメントを、頂まして、ありがとう、ございます。


「””みかんの花咲く丘”は、川田正子さん

”リンゴの歌”は、並木路子さん。」

この2つの歌は、戦後の混乱期に、明るい歌を、世間が希望していたのでしょうね。
しかし、「星の流れに」といった、娼婦の嘆きの歌も、ヒットしました。これは「こんな女に誰がした」というのが、題でしたが、進駐軍から、題名を変えなさいという命令で「星の流れに」なったのです。
他に、「とんがり帽子」などが、あります。これは、戦災孤児を、育てた孤児院の物語です。群馬県の大胡に、今でもあります。その後、ベトナム難民の生活施設として、活躍しました。


「川田正子さんは、50歳そこそこで夭折されましたね。」

この人は、残念です。


yoc1234さん
こんばんは。

こういうのレコードでよく流しました。

放送は自分が先生に教える立場でしたので。
こんこん。

懐かしいですね。

””みかんの花咲く丘”は、川田正子さん

”リンゴの歌”は、並木路子さん。

川田正子さんは、50歳そこそこで夭折されましたね。
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