小督さんのブログ
ブログ
彼岸明け
お仏壇も用意して、開眼供養を行いました
父の転院話が進んでいた時、転院先の受け入れ条件は個室での入院でした。
浪費や大枚をはたくことを嫌っていた、父らしい最期とも感じます
葬儀は簡単に、身内だけで、としましたが、
父の四十九日を終えると、生活も徐々に落ち着くと思っていたのに、
調べなければいけないこと、決めなければいけないこと、
提出しなければいけない書類がいっぱいあって、仕事は山積みそんな中、父は自分の意志を持って最期を迎えたのかなあ、
との想いがするのです
父の転院話が進んでいた時、転院先の受け入れ条件は個室での入院でした。
医師は、父の寿命を「読めない。」と言っており、
私たちはその金額に驚愕したのですが、
「みんなが行きやすい病院で。」と家族の意見がまとまりかけた時に、
長年お世話になっている病院で息を引き取ったのです
まるで、転院を拒むかのようでした
葬儀は簡単に、身内だけで、としましたが、
「知らなかった。」「お線香をあげに行きたい。」と電話がかかってきて、
今でも応接にいとまがありません
父の残したものがあまりにも多く、慄いています
写真は彼岸中日(3月21日)の満月です
-
タグ:
こんばんわ
そうだったですか。
知りませんでした。
何となく、ブログの数が、少ないとは、思っておりました。
エッジなどだと消えちゃう。
ほかのほうがいいみたい。
自分も経験しましたが、
親のありがたみ、なくなってから感じます。
次は自分の番だと。
こんばんは
父は社交的なタイプではないし、趣味らしい趣味もないと思っていたので、
内々に済ましたのですが、いつもは静かな電話が鳴るたびに怯えています
お父様はご自分の生き方を貫いたのでしょうね
ご冥福をお祈りいたします
母は60前に亡くなり、一般的な葬儀をしましたが
私の友人関係には数人だけにお知らせしました
私は上の子どもが小学校に入学する時期でしたので
初七日の後は頻繁には実家にいけませんでした
それぞれの学生時代の友人が実家を
訪問してくださり、父親が応対に忙しくしていたので
もっと確り連絡したほうが良かったと
思いました。
お父上のご冥福をお祈りします。
親孝行や先祖供養は、そりゃ道徳だ。そふも言えやふ。
でも、実は開運法でもあります。 拝
こんばんは
お心遣い、ありがとうございます
あずささんのお母さまはお若くして旅立たれたのですね。
お孫さんもかわいい盛りで、これからの成長を楽しみにされていたと思うと、
その哀しみはいかばかりかとお察し申し上げます
でも、子供さんもまだまだ手がかかる時期でしたし、
あずささんは精一杯のことをされたと思いますよ。
そして何よりも、あずささんがいつも子供さんのそばにいることを
お母さまは願っていたのではないでしょうか
人の繋がりってわからないものですね。
私たちも父の友人関係はほとんど知らなかったので、
「お通夜かお葬式には行きたかった。」と人づてに聞くと、
こんばんは
毎日無事に生き抜いていることはまさしく奇跡です。
何年何十年も病気や怪我や大きな災難を受けずに生きているのは、
これはもう奇跡の連続としか言いようがないです
お墓参りは大事ですよね。
先祖が子孫に祟ることはまずないと思いますが、
お墓の手入れをする人がいない家は、
少し気を留めておく方が良さそうです
私も墓守として白羽の矢が立っているような、そんな感じがあります
こんばんは
お心遣い、ありがとうございます
仏膳を用意したり、墓守がいないとご先祖さまは困りますもんね
どうも、消去法的に私に期待をかけられているようです
この種の陰徳は、莫大な果報に報われます。 拝
私の先祖はかなりの功徳を残したらしく、
私はその恩恵に与っています
こんばんは
再度コメントありがとうございます
幼い頃に事故にも遭われたのですか
この世に生を受けてから、ご両親それからおばあ様に一丸となって守られていたのですね
それが今やI SAY 企画プロダクションさんから守られているのですから、
喜びもひとしおでしょう
頂き物や旬のものは、まずはお仏壇にお供えしてから頂いていますが、
その時にいろんな報告をします
それでも、父がまだ病院にいるような気が・・・する時があります
父は、
「次の検査が悪かったら透析です。」
と言われて5年以上経ちますが、透析をせずに最期を迎えることができました。
家族としてはできる限りのことをしたかなあ、と思っています
お父様の七七期、四十九日済まされたんですね、昔は7日毎に法要をして7回目が、
49日の法要になるように供養したようですが、いまの時代そんなことする人は少なく
なりました。
でも、この前葬儀に行った我が家の親戚は、亡くなった本人が寺院の住職だったので
上記の法要やったみたいです日曜日にしたそうですがそれを仕切った妹は大変だったようです。一週毎に修行を積んで仏様への道を歩んで行くとのいわれがあるようです。
最近は、法要も七回忌で終わりとか、十三回忌やるのも珍しいように言われました。
でも、私は父の三十三回忌やりましたし、できる限りやろうと思います。
生前の故人のことを思い浮かべて感謝すると共に、今の自分や家族のぶじ、健康を祈ることはすごく大事だと思うので、小督さんもそうしたしきたり大事にして欲しいと思います。
こんばんは
一周忌まではしっかり法要をするつもりですが、
今は次の百か日を考え中です。
初盆は施餓鬼供養も兼ねるので結構かかりますよ、と言われているので、
もしかしたら百か日は飛ばすかもしれません。
その時は私が写経をするので、父にはそれで勘弁してもらおうと思っています
私の亡き祖母は熱心に法要を執り行っていましたが、
亡き父と母や妹たちは法事にはやや否定的な考えでした
効果が目に見えないものにお金を渋るのは、わからなくもありませんが