悟りへ至る一つの言葉を見つけても、実践を伴わなくては何もならない。
それはどういうことかともし尋ねる人がいたならば、ただ知っただけでは
実践したことにならず、自分の心がどの言葉に感応したかを
よく自覚することが大事だと答えよう。
りっぱな言葉は、いつも出しやすい。
しかし、道理を修めて実践することは、いつも行われにくい。
それなのに、できそうもないりっぱな言葉で、その実行しにくい道理を
追い求めていないのか。
だが、りっぱな言葉で求めれば求めるほど、道理は実行されにくくなり、
言葉に出して言えば言うほど、くいちがいが大きくなる。
ちょうど火事を消そうとして油をかけるように無益で愚かなことだ。
良寛禅師は「言行一致」を非常に意識していたのです。
どんなに万巻の書を読んで、勉強したとしてもそれはただ知識の羅列
にしかすぎません。
人はよく知ったことを実行する前に、まず他人に向って言葉を飾りたてて
披露する。
受け売りをしゃべっているうちに、実行したような気になる。
しかも本当に実行されていないから、言葉だけは洗練されてりっぱになる。
そうして、ますます実行されにくくなる。
そんな皮肉な事情が痛いほどよく分かるというものです。
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