良寛「草堂集」より、

kouboudaisiさん
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たとえ、万巻の書を読んだとしても、それはただ知っただけである。
悟りへ至る一つの言葉を見つけても、実践を伴わなくては何もならない。
それはどういうことかともし尋ねる人がいたならば、ただ知っただけでは
実践したことにならず、自分の心がどの言葉に感応したかを
よく自覚することが大事だと答えよう。

りっぱな言葉は、いつも出しやすい。
しかし、道理を修めて実践することは、いつも行われにくい。
それなのに、できそうもないりっぱな言葉で、その実行しにくい道理を
追い求めていないのか。
だが、りっぱな言葉で求めれば求めるほど、道理は実行されにくくなり、
言葉に出して言えば言うほど、くいちがいが大きくなる。
ちょうど火事を消そうとして油をかけるように無益で愚かなことだ。

良寛禅師は「言行一致」を非常に意識していたのです。
どんなに万巻の書を読んで、勉強したとしてもそれはただ知識の羅列
にしかすぎません。
人はよく知ったことを実行する前に、まず他人に向って言葉を飾りたてて
披露する。
受け売りをしゃべっているうちに、実行したような気になる。
しかも本当に実行されていないから、言葉だけは洗練されてりっぱになる。
そうして、ますます実行されにくくなる。
そんな皮肉な事情が痛いほどよく分かるというものです。








2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件
こんにちは!何時も足跡ありがとうございます。
私などは背伸びしてモノを上手く言えるほどの人間でもありません。
普段このブログに思いついたまま、自分の株式売買の下手さ加減を
ありのままに記載しております。
たまに仏教説話や歴史めいたことを記載しておりますが、知っている事と
実践することは全く別のことです。
マーフィーの法則やカーネギーの本を読んでも、知っただけで
実践しないのは意味がないのです。
かく言う私もそういう人間の一人なのです。



こんにちは

私もこういう背伸びしてモノを言っていることが多いので、とても身に染みる言葉です。
生き方の態度が少し無理をしているのかなぁ、と時々思います・・。
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