昨日はよいとした事を、今日になってよくないとする。
そこで今日はよいとした事を、どうして昨日よくないと
した事に気がつこうか。
このように人の気持ちは変わりやすい。
だから、よいわるいには定まった価値基準はなく、
得ることと失うことは前もって予期できない。
物事ごとにうとい者は、琴柱(ことじ)を膠(にかわ)
づけにして融通がきかずあくせくし、
物事にさとい者は、その根源を知りぬいたとして
それをよしとし、行ったり来たり、
むだな時間をすごしている。
このようにうとい者とさとい者と二つのやり方を捨て、
とらわれることのない者を、はじめて悟った人と
いうのである。
人の価値判断は、誠に移ろいやすいことを述べている。
良いことの基準にも確固としたものはなく、悪いという
こともあやふやで変わりやすい。
しかも、同じ人間が昨日と今日とでは違う判断をしている
ことさえ自覚がないという。
鈍感な人間は右往左往し、敏感な人間は空回りする、
だから両者のやり方を捨てよ。
とらわれる事がいけないと言うのです。
不平不満を語ることは、好ましいことも悪く見え
そうしている自分自身をますます不幸にするだけ
なのだそうです。