私は幼い頃から母の相談役として
母の事業の発展に尽くして来たが
母の年金記録も残って無いそうだ
母は私の事故や警察の嫌がらせなど
恐れて九州を逃げる様に家族で引っ越しをした私の命に懸賞金が掛けられ
いたからだ。私は生まれて程なくして東京から九州へ引っ越しをして
父の故郷のやくざと炭鉱の町で育った、そして父の影響で幼くして
平和維持軍の教育を傍らで教わった町には抗争があり海外に目を向ければ
ベトナム戦争があり父は組組織からは先生と呼ばれる事もあって仕事を
どこから持って来たのか解らないが私に仕事を与え資金に変えてたらしい
そのベトナム戦争を終戦させた偉業で私は昭和天皇に子飼いされ当時の
金額で400万円で九州戦争と呼ばれた大阪と九州の抗争を鎮静化させ
鬼木勝利議員に出会う事となるのです。私は子供ながら父の仕事先で
出会った平和維持軍の教育を短期間で習い国内は元より抗争を終息させ
新しい時代の礎を築く事を求められたが命を狙われる事は往々にしてあり
鬼木勝利議員は私の味方に付いてくれたが命を狙われ亡くなってしまった。
そして私の父も命を狙われ母の起業した会社の社長のポストに父が就いた
しかし父は結核で無理が出来ない生活が続いて若い年齢で亡くなった。
ここからが平和維持軍の特殊任務の始まりです。そしてこの期に政界の
議員達と出会う事になるのです。