サイコさんのブログ

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やめるー?

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 7位


書いた文字にはニュアンスと言うものが隠されてしまうので、工夫としてはてな?だったりおっと!だったり疑問符、感嘆符などの記号をしばしば使ったりする。が、本日のタイトルもそうだが、発話の場合なら、やめるー↑ と、問いかけるように言葉尻を上げると、その真意を問い質していることとなり、これが、やめるー↓ となると心中を察する言葉となる。まぁー、例によってポストモダン的に言えば、音声ロゴス主義という本丸批判に付随して、知の考古学をも、真に深い意味で掘り下げてみる、ということだろう。
以前にもご紹介したフーコーの「言葉と物」に付随してポンティの「知覚の現象学」における「怒り」の意味。これは身体という表情がない限り、まさに文章ではそのニュアンスなどは伝えられないものだろう。どれだけ、罵倒じみたものを書いている、としてもその強度などはまさに発する恫喝の前でなければ、真に感じることなどできない。苦言や苦情というものもメールよりも電話のほうがよりリアルさ、はあるが、パフォーマティブに怒の強度が強い場合、まさに怒りをぶつけるという行為が目的とし遂行されてしまうだけであって、肝心の「どうにかせー」は希薄になってしまう。例によって翻訳すると、あまりにも此れ性に固執すると、実はたんにそれについて怒りがある、という事実のみがわかるだけであって、そこにあるはずの「本来的問題の除去」はそれを示していても限りなく解決不可能、の度合いを増やしているものである。
 まー、単にスポーツ、ということだけでは片付けられないのであろう、大相撲大麻疑惑でやっと、北の湖が理事長から退くと言うことらしいが、去年いじめ殺人で内弟子が死んだ事件のときにすでに責任問題であったはずで、あまりにも遅い引責である。それもそれとして、より根の深い問題は、国技の危機ということでもある。要は単にスポーツ、と化したということで、また日本から文化が消えていくことに、怒ることさえも諦観してしまった。しかしながら、この日本的体質、責任の所在無さが役所というか官僚というかだけではなく、まさに日本的体質として相撲協会に重みを通り越して、底が抜けた、そのものだったということだ。これは、辞める? ではなくて病める、なんとかせー なのだが。

グゥーーーーー

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