私たちは日々退化している。
他の獣の毛皮や布、化学繊維などでできた服という名の進歩は、
自らの体毛を退化させ、傷つきやすくなった。
パンや炊いた米、蒸したトウモロコシといった柔らかい食料という名の進歩は、
私たちの顎や歯を弱らせ、咀嚼能力を退化させた。
殺菌・除菌方法といった衛生技術という名の進歩は、
私たちの平均寿命を著しく改善させたが、免疫力を退化させた。
石斧から始まり、金属製の刃物や弓矢、そして銃火器。
これらの武器という名の進歩は、狼などの外敵から身を守ることを可能にしたが、
恐らく反射神経や危険察知力を退化させ、さらには戦争という負の副産物を生んだ。
オリンピックやプロスポーツ選手などの一流アスリートは我々の祖先よりも早く走れるかもしれないが、
一般人の私たちでは勝負にならないだろう。
また、一流アスリートだとしても、素足で舗装されていない道を走れと言われたら、
祖先よりも早く音を上げるかもしれない。
おいしい食事、快適な住居、便利な機器。
歩きやすい道、大量かつ高速な移動手段。
安全が確立された医療、根拠と再現性のある科学技術。
もちろんこれらの様々な進歩は人類を繁栄させた。
そのことを否定をするわけではないが、
同時に私たちを脆く弱く退化させ続けている事を忘れてはならない。
今後、ITやAIが発展すれば私たちに利益をもたらす可能性が高いが、
一方で私たちの思考が退化するリスクも起こりうる。
「人間は考える葦である。」
哲学者であり、数学・物理学者でもあったパスカルはかつてそう言った。
考えることが全て良いことだとは言わないが、
思考の大切さは言うに及ばない。
退化を止めるのは困難だが、
ふと立ち止まって考えることも必要だ。