むかし、本間宗久さまは、本家を甥の光丘に乗っ取られた。
そして江戸へと出郷。
小生も、苦い思い出があるんだな。
いまから12年前、母が、まだ要介護1の時、そろそろ、これは介護生活に入るなぁと察しが附いたので、夏休みに10日ほど、帰省した妹夫婦に実家にかわってもらって、合衆国の友を、たずねて行った。しかし、この10日間の不在が、まずかった。
帰り着くと、妹の、あの冷酷な、冷たく慾が燃えるやふな顔が待っていた。なんか變(ヘン)だなとは、思ったけど。時差ボケしてゐたので、その日は眠った。
それから、三月(みつき)して、やふやく母が重い口をひらいた。母が廊下で、転倒したところ、母は大事ないと止めたが、妹は救急車を呼び、近くの病院へ搬送した。
そこからが、悪知恵の大車輪だ。
義弟の実家は、ちょうどウチとは、鹿児島市を挟んで、反対側の郡部(いま市制)の町にあり、そこに帰省していた義弟に、すぐ電話をして、わが家に呼び戻し、夫婦で、病院から帰ってきた母を待ち受けていた。
そこからは、おぼろげに母が伝える所によれば、夫婦で、母を家じゅう追い回して、遺言状を書けと強要したみたいだ。
「いきなり書けと言われても、どう書けば良いの。」と辛うじて、母は、逃げ切った。
その告白あとの、母の小生へのアドバイスは、「すぐ弁護士の所へ行け」だった。
この手の私製遺言状は、ばかばかしい。二重線で文言削除して、印章を押下すれば、済むことだ。否定できる。
またもういちど、遺言しなおして貰へば、日付の新しい方が、真正の遺言状になる。
また電話口で、東京の妹を詰問しても、知らぬ存ぜぬの一点張りだ。挙句は、「母は、認知症になっている」との嘘(認知症の御方が弁護士に法律相談をうけろとは言わぬ筈)。
さらに、驚いたのは、その後、妹は、くりかえし電話で母を叱責・罵倒したことだ。口止めを破ったから。
結局、母は1年後に、妹には屈服した。公正証書の作成を行った。ほんまビルは、妹へ。自宅と現金資産は、小生へ。
母には、弱みがある。鬱病と自律失調症。これがために、妹の出産の手助けが、まるでできなかった。ここをなんども、なんども妹に責められる。
ひるがえって、妹は、慾病だ。小生が、だふあっても分からぬのは、ビルの所有といっても、妹は、ビルの掃除(大家の基本)を一回たりとも、したことがなひ。店子と交渉したこともなひ。不動産所得の確定申告も一度もしていない。要は、資産が欲しいだけなのだらふか。
それなら違ふ。ほんまビルは、商業ビル。だふあっても、経営が必要だ。しかもビル経営は、年年歳歳むずかしくなってゆく。赤字に転落することもある。
と、まぁ、ブログには、兄弟間の骨肉の情のネジレを附けたが、その妹も癌。そして、兄弟間には、、なにか霊的な腺とででもいふもので、つながってゐるらしひ。
今春は、はてしもなく鬱である。これは、妹の症状が軽くなひといふことを指してゐるのだらふか。
仲が悪いものだから、電話なんどで率直に尋けぬ。そこも、また鬱だなぁ。