前田綱紀は加賀藩100万石の第4代藩主です。
戦国時代が終わって世の中が太平になってくると、為政者である徳川家はその地位をさらに盤石なものとすべく、諸大名にさまざまな義務を押し付けました。 その一つが有名な「参勤交代」の制度です。
大名は1年おきに江戸と自領を行き来して、江戸常駐時は毎月1日と15日には必ず登城して将軍に謁見するしきたりになっていました。
登城といっても謁見はたんに「ハハーッ」と平身低頭するだけで、他に特にすることはなく、弁当を喰って他の大名と雑談をするだけでした。
その雑談も、なるだけ当たり障りのないバカ話しかできませんでした。なぜかというと、監視役がいて大名たちの会話に聞き耳をたてていたからです。
うっかり政治の話などの利口そうな話をすると、たちまち報告されて「あいつは油断ならないやつだ」とマークされてイロイロ因縁をつけられて、下手すると領地没収ということにもなりかねません。
特に前田家は100万石の大大名ですから幕府としも謀反を起こされては困るので神経をとがらせていました。
そこで藩主前田綱紀は考えました。「よし、目をつけられないようにバカのマネをしよう」
綱紀は耳鼻咽喉科の典医をそばに置き、鼻水を出す薬を調合させて登城する際はつねに鼻水を垂らすようにしていました。鼻毛も伸ばし、口もぽかんと開けたままです。
そして玄関奉行が「お腰のものを」というと、普通は刀を差しだすのですが綱紀は刀の鞘だけ渡して抜き身の刀はそのままでひきずって歩きました。 当然、刀で畳はズズズーッと切れてしまいます。
畳表の切れたのをほっとくと見苦しいから幕府はそれを新品と交換します。すると綱紀は、帰り際にひきずった刀でまた畳表を切ってしまいます。
畳といっても江戸城に使われている畳は備前表の超高級品です。何度もそれを繰り返しているうちに、とうとう江戸中の備前表が品切れになってしまいました。
普請奉行は困り果てて将軍綱吉に「あのアホを何とかしてください」と言上しました。
すると綱吉は
「いよいよ松雲公乱心か、これで徳川家も安泰である。畳表くらいは捨ておけい」
と言って大いに喜び、切り放題にさせたそうです。
こんな前田綱紀ですが、実は愚鈍な大名ではなく学問好きな英明な君主だっでした。 参勤交代の途中で図書や古文書を買い集め、熱心に勉強しました。 藩政の面でも名君でした。 そのような頭のよい人物だからこそ愚直を装う事が出来たのです。
その後も幕府は前田藩をなんとかつぶそうとイロイロ画策しますが、綱紀のほうが一枚上手で危機を切り抜け、結局幕末まで前田藩は生き延びることができたのでした。
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大河ドラマ「真田丸」結局全話見ました。 史実と違うなどの批判もあったようですが、私はこれまでの大河ドラマと一味違ってホームドラマ的な感覚もあって面白かったです。
いや~、戦国武将って本当にスバラシイですね~。
ということで、私の戦国武将シリーズも、これをもって完結させていただきます。1年間のご愛読ありがとうございました。^^