今から50年前の福岡県の大牟田市は公害で川は黄色く淀んでました。
所謂、炭鉱とやくざの街と呼ばれ抗争などが頻繁に起こってました。
空は汚染され雨が降ると土壌が汚染され、これで限界かと言われてました。
その当時は私は幼いながら母の話し相手になってました。
祖父は商売は下手ながら司法書士として私の面倒など見てくれました。
実父はそんな祖父が自慢であったらしいが実父も街のやくざの組からも
先生と呼ばれてました。そんな時代に母は起業し営業もして父の職業の
営業をして現場を受注して企業にして父の腕を買って社長の座に据えて
地域の世話役をやってました、父は母から受け継いだ社長の座を照れて
いた様ですが、浮気症が祟って結核を移されて闘病生活になってしまい
ました。・・・・つづく