ニューヨークの思い出

yuhsanさん
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私が最初にニューヨークに行ったのは、1970年でした。入社後10年の中堅社員で、アメリカ資本との技術提携交渉のため、社長のカバン持ちでした。


受験英語では自信がありましたが、ホテルのエレベーターで一緒に乗ったアメリカ人の会話は、チンプンカンプン。そのため仕事の記憶はほとんどありません。


仕事が、はかどらなかったおかげで、ニューヨークに1週間滞在できたのです。あの、プラーザホテルで……。


ホテルの前には、白い馬が引っ張る馬車が、ドレスアップしたカップルを乗せて頻繁に出入りし、その先には毎晩のように舞踏会が開かれ、心地よいラテンの音楽が漏れてくるのです。


「なんて豊かな国なんだろう」
「日本もいつか」


会社は、交渉を有利に進めるための見栄として、ニューヨークの超一流ホテル滞在を選んだのでしょう。でも、社長のカバン持ちの部屋は、セントラルパークからは離れた裏庭に面した暗い部屋でした。部屋で見るビデオと、小さなレストランで食べる朝食が楽しみな毎日でした。


ビデオで見た「追憶」と、ストライスサンド甘い歌声と、プラーザホテルの生活が、ニューヨークの思い出となりました。


その後、何回かニューヨークを訪れることはあっても、あのプラーザホテルに泊まれることはありませんでした。







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yuhsanさん

ほんま そうかいさん

こんばんは


人にはそれぞれ思い出がありますね。

私の英語もその後、いくら勉強しても、いまだに聞く方はだめです。

今では、あきらめています。

コメントありがとうございます。


yuhsan はじめまして。へぇ~っ!あのプラザ合意のプラザ・ホテルへ止まられたんですか。さぞや豪勢なホテルだろうなと思います。


小生も、いまから20年以上前、受験英語(日本人教師のみ)のみで、合衆国へと単独旅行しました。小生の場合、西海岸の人って、なんて雑な英語を使うのだろうか、ぜんぜんなってないやと。ちゃんとした英語話せよ。オレみたいに。と一週間ぐらい思ってました。

主にロスのダウンタウンのビジネス・ホテルか、エアポート・ホテル宿泊でしたから。これをかいつまんで説明しますに、


「クイントリックス、もイッペン言ってみな。・・・’quintrix.’

あんた発音わるいねぇ~。あんた外人だろ.ちゃんとした英語話しなよ。

『ク・イ・ン・ト・リ・ッ・ク・ス。』・・・’quintrix’」

                      坊城三郎コマーシャル。


英語と日本語。発音の周波数から違うし、子音で終わる日本語は、有りません。                    拝




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