ユリウスさんのブログ

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国の根幹にかかわる密約は許してはならない

 文芸春秋7月号に「日米密約 岸・佐藤の裏切り」というタイトルで名古屋大学大学院春名幹男教授がミシガン大学内の図書館で『朝鮮半島有事の際の在日米軍基地使用に関する密約』の本文を発見された経緯と、この新発見文書が明かす日本外交の闇の部分を詳しく述べておられる。それらを踏まえて、タイトルにあるように密約は国民への裏切りと断じておられる。(それらのことはくり返しませんので、文芸春秋の記事を是非お読み下さい)
 翔年は裏切りと言う次元の問題でなく、わが国の政府のあり方、政府と議会(政府をチェックする国民の代表)のあり方、そして国と国の外交のあり方など、政治の根幹に係わるところを蔑(ナイガシ)ろにしているのがこの密約の本質であると憂うるものです。わが国は外交下手といわれて久しいが、「外交下手」の要因のうちの一つが密約をするような政治風土にあると思うので、そういう観点から物申したい。


 まず、今までにあるといわれている密約はどんなものがあるのか、春名教授の論文よりリストアップしたい。

(1960年の日米安全保障条約改定時の密約)
密約1 核兵器搭載艦船の寄港を認めたもの
密約2 朝鮮半島有事の際「事前協議」なしに在日米軍基地から出撃できると認めたもの
(1969年11月、沖縄返還で合意した際に交わされた密約)
密約3 沖縄変換後、極東有事の際に核兵器の再持込を認めたもの


 この三大密約はいずれも「核兵器」と「有事」に関するもので、それはとりもなおさず、わが国の国防の根幹に係わるものです。そしてこの三つの密約は、時々アメリカの政治家の発言やマスコミ報道を通じて漏れ出し、日本人は密約なるものがかなりの高い確率で存在するだろうと推測しているのに、外務省当局がその存在を全面的に否定しているものです。


 さて、これをどう考えたらよいのか?
 戦後の日本国民は

「核」=原爆、水爆≒原子力発電≒原子力平和利用(ミソもクソも一緒にする)
「軍隊」=殺人集団=戦争(軍隊の抑止力は認めない)

という図式から、「核」や「軍隊」に非常に強いアレルギー反応を起こす人が多い。旧社会党系や一昔前の共産党とその支持者は特にその傾向がつよかった。

 国(政府)と言うものは国民の命と財産を守ることが一番大きな仕事なのに、国防について語ることすら許さないという子供みたいな政治家が、国会に半数近くいたと言うことを我々はよく記憶していなくてはならない。

 本来、政府はたとえ国論を二分する心配があろうとも、国民に国防について民意を問うべきだあったが、当時の世論から見て日本の政治家トップは民意は未熟な判断しかできないという高度?な(身勝手な)判断をして、国民に真実を隠して日米安全保障条約を改定したのだ。即ち、わが国は

 表向きには「非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)」を国民にも世界にも公約としながら、(これは沖縄に対しては核抜き本土並みという大前提でもある)、裏では米国の要求に応じて、緊急時の核兵器の持込を密約していたのです。


 1960年代に、明らかに上の三つの嘘を国民についてしまった日本政府は、現在も密約の存在を認めない、即ち嘘をつき続けている。そして困ったことに密約であるが故に、政府組織としてのこの件に関する事務引継ぎすらも出来ないでいるらしいのだ。(春名論文に詳しい)

 これをアメリカとの関係で見ると国辱的な事態が起っている。例えば、首相が変わるたびに米国は日本側に「実はこんな密約がある」と通告し、米国大使館に招いていちいち説明しているというのだ。
 まるで、大人と子供と言って悪ければ、先生と生徒の関係ではないか。アメリカから見たら日米安全保障条約のパートナーはまるで信頼のおけない子供だということになっている。(日本国民としてこんな恥ずかしいことはない。)

 同じことが憲法解釈にも言える。第9条は誰がどう読んでも戦争放棄を明確に高らかに謳っている。本来、軍隊(現自衛隊)を持った時点で憲法改正をしなくてはならなかったのに、それを避けて条文解釈で糊塗して今日に及んでいる。

 密約も憲法解釈もどちらも同根で、非は安全保障とい国の根幹に係わる事項を国民にキチンと説明しようとしない腰抜け政治家と、それをうすうす感じておりながら許している国民にある。

 これを諸外国から見たらどう見えるか。戦争放棄する憲法を持った国が世界第四番目に相当する大きな軍事費を計上し、軍隊を持っているのです。軍隊を持たない国はないわけですから、諸外国は軍隊を持ったらいかんとはいいますまい。ただし、憲法という最高の法の定めを安易に踏みにじる国民であるという認識はしているでしょう。それが妥当な判断と言うものでしょう。

 翔年が憂うるのはまさにこの点です。原理原則を蔑(ナイガシ)ろにする国は尊敬できませんし、信頼もできません。いくら国際連合の常任理事国入りを望んでも、子ども扱いされているのも故なしとしません。

 「信なくんば立たず」。食品の表示の嘘、建築強度の計算の嘘等を騒ぐだけでなく、政府のついている大きな嘘を正面から真剣に考える市民が大勢現れることを願っている。
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