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安倍首相 テロに1円も払うな 泥をかぶれ

オバマも、小泉首相もテロに屈しなかった。

これは、精神の問題。

馬鹿左翼が、センチメンタリズムを煽る。大江健三郎のようなペテン。

1国の首相とは、苦しい時もある。

日本人は、捕まえれば金になる。


とテロに思われ、後の事を考えれば、拒否すべし。


青山繁晴「イスラム国」日本人人質事件 ズバリ!解説②
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25396146

2件のコメントがあります
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    福田赳夫
    1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙で自民党は改選議席を上回る議席を確保。同年夏、新たに党友組織自由国民会議創設に当たり党国民運動本部長中川一郎を通じて保守派の論客として知られる作曲家・黛敏郎に初代代表就任を要請し受諾を得る。またこの頃、国民栄誉賞を創設した。

    同年に起きたダッカ日航機ハイジャック事件では「人命は地球より重い」として犯人側の人質解放の条件を飲み、身代金の支払いおよび、超法規的措置として6人の刑事被告人や囚人の引き渡しを行ったことで、テロリストの脅迫に屈したと国際的な批判を浴びることとなった。この後北朝鮮による拉致が急増した。しかし在任中を通じて福田内閣の支持率は徐々に持ち直し、日中平和友好条約の締結や積極的な東南アジア外交の展開を行う。その姿勢はアジア開発銀行の設立やフィリピンのマニラで発表された福田ドクトリンへと結実することとなった。

    1978年(昭和53年)10月23日、鄧小平副総理を日本に迎え、「日中平和友好条約」に調印。

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    ダッカ日航機ハイジャック事件

    ハイジャック発生[編集]
    1977年9月28日に、フランスのパリ、シャルル・ド・ゴール国際空港発パキスタンのカラチ・ジンナー国際空港、インドのムンバイ空港、タイのバンコク・ドンムアン空港経由東京国際空港(羽田)行きの日本航空472便(ダグラスDC-8-62型、JA8033、高橋重男機長以下乗員14名、乗客142名うち犯人グループ5名)が、経由地のムンバイ空港を離陸直後、拳銃、手榴弾等で武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。
    同機はカルカッタ方面に一旦向かった後、進路を変更してバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸し、犯人グループは人質の身代金としてアメリカドルで600万ドル(当時の為替レート〈1USドル≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した。この時、犯人グループから、「アメリカ人の人質を先に殺害する」という条件が付けられ、この「条件」の影響を受けて、その後の日本政府の対応にアメリカへの外交的配慮があったとする見方もある。


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