ヒロろんさんのブログ

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第47回総選挙の捉え方


総選挙で、安倍連立政権が圧勝したことによって、日本に明るい光がさした。

日本にとって何よりも必要なのは、向こう4年にわたる政治の安定だ。

このうえは、日本の周辺に安定した環境をつくらなければならない。政権が国民から盤石の支持をえたことによって、集団自衛権行使の憲法解釈の見直しにともなう法整備、防衛力の増強、日米同盟関係を深化しつつ、“地球儀を俯瞰する外交”をいっそう推進することができる。

安倍首相は選挙戦中に、憲法改正について、「わが党にとって立党以来の悲願」であると述べている。憲法第96条を手直ししたうえで、第9条の改定に取り組むことを、期待したい。

静かな選挙は結果も落ち着きがある

今回の総選挙では、久し振りに“風が吹く”ことがなかった。一部で「熱意を欠いた選挙」だったと批判しているが、私は日本国民がそれだけ成熟したと、高く評価したい。

日本の民主政治には、周期的に“風”が吹いてきた。この30年以上、“風が吹く”ことが、際立った特徴となっていた。

前回の総選挙では、橋下徹大阪市長の“大阪維新の会”が全国に旋風を引き起し、「政界再編の目だ」といわれた。私は異常な“維新の会”のブームに、深い不安を覚えた。

前回はみんなの党も“風”を起したが、みんなの党は今回、泡沫のように消えてしまった。

前回の総選挙直後に、みんなの党の浅尾慶一郎議員と会った時に、社民党が全国で獲得した票を、関東圏だけでとったと自慢したので、私が「党名がコミックのようで、不真面目だ」といったところ、「いや、党名のお蔭で、これだけとれたんです」と、蒙を啓かれた。

浮き足立った選挙は一過性で空しい

小泉首相が平成13年に「自民党をぶっ壊す」といって、郵政改革を訴えた総選挙で、自民党が圧勝した。

5年前に、民主党が「政権交替」を叫んで、鳩山由紀夫内閣が登場した時も、マスコミが「風が吹いた」といって、盛んな拍手を送った。

昭和64年の総選挙では、日本社会党が土井たか子委員長のもとで、議席を倍以上に増した。マスコミが「マドンナ旋風」と呼んで囃し立てたが、土井氏が「山が動いた」といって小躍りした。

なぜか、日本国民は内容がよく分からない新しいものに、憧れる癖がある。これらの“風”は、みな一過性のものだった。

平成13年に誕生した“小泉チュルドレン”は、その後の“風”によって、芥(あくた)のように散ってしまった。5年前にバッジをつけた“小沢チルドレン”も、“風”とともに散った。

天下の公党が候補者を公募するのも、日本だけのものだ。日本だけの、独特な奇観だ。

橋下市長が大阪維新の会をつくって、塾生を公募したところ、国会議員を含む3326人が応募した。あの時点では、みんなの党もまだ人気が高かったが、もし塾を開設していたとしたら、維新の会によってはねられた者が、殺到したにちがいなかった。

“風”が周期的に吹くのは、日本の民主政治が国民のあいだにしっかりとした根を、降ろしていなかったためである。

 欧米の政治の日常性を学ぶ必要がある

アメリカや、カナダや、ヨーロッパであれば、政党の日常活動がボランティアの学生、社会人から、高齢者まで、厚い層によって支えられている。支持者のなかから、ふさわしい候補者が選ばれてくる。

私は6年前まで松下政経塾の役員をつとめて、相談役で退任したが、今回の総選挙前まで、36人の卆塾生が国会議員をつとめていた。ほとんどが、民主党に所属していた。

自民党は世襲議員が多く、選挙区の空きがなかったからだ。

民主党議員が圧倒的に多かったのは、政策や綱領、信念と関係がない。ただ、バッジをつけたい一心で、選挙区の空きの多い民主党に雪崩れ込んだにすぎない。

私は前回の総選挙の時に当選したある党の議員のなかで、3つの党に応募して、バッジを射止めた者を知っている。日本では、政冶が国民の日常生活から、浮き上っている。

私はマスコミが、どうして「風が吹く」のを、良いことにしてきたのか、分からない。本来、日本語で“風”といったら、思わしくない言葉だった。よい言葉といったら、「そよ風」ぐらいのものだろう。

「風の吹回(ふきまわ)し」「風任(まか)せ」といえば、定見がないことである。男や女が心変わりするのを、「風吹き」といった。「痛風」「中風」もある。

江戸時代には、「かぜを負うた」というと、物怪(もののけ)に取り憑かれたことをいった。「あの人は風に当たった」といえば、人に災いする魔風のことだった。風は疫病神であり、「風の神払い」といって、仮面をかぶって太鼓を打ち鳴らして、軒々、金品を貰い歩く辻乞食がいた。

 日本国民の国民性

地方では風の神に見立てた人形を作って、鉦や、太鼓ではやしたてて、厄除けを行った。いまでも農村へ行くと、風害を免れて豊作になるように祈願する、風神祭が行われている。

マスコミは、“風の魔神”なのだ。マスコミは政治屋と一緒になって、風袋をかついで、風害を撒き散らしてきた。

これまで、政界で“風”はよい言葉になっていたが、“風”は政治を不安定なものにしてきた。

“風頼り”で当選した若い1年生議員が、国会から追われると、きっと落魄して、“風”を恨むことになろう。

日本国民には、熱しやすく、冷め易い欠点がある。

煽ることが、ジャーナリズムの生業(なりわい)であることは、戦前から変わらない。マスコミは何であれ、騒ぎを好む。劣情を刺激するのと変わらないが、そうすることによって、紙数が増え、視聴率が上がる。

江戸時代には、流行神(はやりがみ)現象があった。ある祠(ほこら)に詣でると、治病とか金運とか、大きな御利益があるという噂がひろまる。すると、群集がそこに殺到する。ところが、長続きしない。いつも、一過性のものだった。

しばらくすると、ちがう祠か、寺か、社に詣でると、福運がつくという風聞がひろまる。人々が、そこへ集まる。流行神は花が咲いてぱっと散るから、「時花神」とも呼ばれた。

マスコミは、流行神だ。そのたびに、賽銭箱が満たされてきた。

お蔭参りは、江戸時代におよそ60周期で起ったが、伊勢神宮に参詣すると大きな御利益があるという噂がひろまって、老いも若きも日常生活の規範を離れて、街路に飛び出し、奔流のように踊り浮かれて、伊勢へ向かった。

 幕末のお蔭参りと現代のお蔭参り

最後のお蔭参りは、幕末の慶応3年に起ったが、当時の日本の人口の1割に近かった200万人以上が、全国から伊勢を目指した。路々で周辺の家に土足であがり込み、饗応を強いるなど、狼藉を働いた。

平成に入っても、日本ではお蔭参りが続いている。反原発デモが、その類である。

日本では政治が国民生活から、浮き上っていた。国民が日常、政治にかかわろうとしないからだ。

日本国民は日頃、ゲルマン民族のように規律を守って地道に生きると思うと、周期的にラテン民族のように浮かれて、空ら騒ぎする。

アングロサクソンや、ゲルマン民族であれば、新しいものに警戒心をいだく。かりに多少の欠陥があっても、多年使い慣れたもののほうが、安心できるものだ。ところが、日本国民は政治の場にまで、「女房と畳は新しいほうがよい」という感覚を持ち込む。

国民の1人ひとりが、日本の持ち主であるはずだ。大事な政治の選択を、“風”に委ねてはなるまい。


      
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