一本刀土俵入り 12月4日(木)19時51分

堅実さん

 11月30日()に、何とか、頑張ってみようと思い、相変わらず、午後、自転車で桃の木川から、駒形駅へ、そして、駒形茂兵衛の地蔵尊を訪ねてみた。最近まで駒形町の広瀬川沿いに、茂兵衛地蔵尊があったが移転した。行く途中、木工民具を売っている人に移転先を聞いてみた。そして元の場所から500メートル程離れた、やはり、広瀬川沿いにあった。


 この駒形出身の茂兵衛は実在の人物である。茂兵衛は江戸時代の人である。そしてやくざではなく、地元の有力者であった。元の茂兵衛地蔵尊には、こんなことが書いてあった。徳川幕府の年貢の重さに耐えかねて、幕府に直訴した人物である。


 「上毛かるた」には、「天下の義人 茂左衛門」がある。この茂左衛門も実在の人物である。沼田城主の悪政を、幕府に届けたのである。そして家族もろとも磔の刑になったのである。「駒形茂兵衛」も同じく、幕府に直訴したのである。そして、幕府に直訴した罪で、家族と共に死罪になったのである。


 ここで歌舞伎の話になる。ここで農民は、本当の事が言えない。幕府が悪いなんて演じれば死罪になる。そこで、駒形茂兵衛をやくざにして、相手方の悪いやくざ(徳川幕府)を懲らしめる話にしたのである。これが「一本刀土俵入り」である。


 江戸時代でも、これは口こみで、農民の間に、当然知れ渡っていたのである。歌舞伎見物では、茂兵衛に、やんや、やんやの喝采をしたのは、当然である。当時の歌舞伎は、農民歌舞伎で、普段は百姓で生計をたてているが、冬の農閑期に、地元農民は茂兵衛を讃え、弔ったのである。このようにして芝居小屋を、竹材などを利用して作り楽しんだ。(茂兵衛の弔いとしても)。


 今の東京の歌舞伎座というような立派なのではない。むしろとか、ござで覆った粗末な舞台である。どさ臭いと言われるかもしれないが、わたしには歌舞伎座の歌舞伎よりも、農民歌舞伎の方が、魅力がある。演技が上手だとか下手だとかは、2の次なのである。その心意気が愉快なのである。そこには農民の生活を感じられるからである。歌舞伎座の芝居もよいが、ただ美しいだけで他に何もないのは、ぬけがらが、格好だけつけて演技しているように思えてならない。歌舞伎座では、生活感覚のない芝居なのである。


 この農民歌舞伎ですが、前橋市でも、一部復活して、冬季に上演するらしいことを聞いている。富士見の方だと聞いている。演目は分かりませんが。


 移転先の茂兵衛像は、相撲姿であった。残念である。そしてこの駒形でも、本当の茂兵衛が、いなくなってしまったのかと思う。もう時代が流れ、本当の事を知る人が、いなくなってしまったのかと思う。地元でさえ風化されてしまったのかと。


 三橋美智也の「一本刀土俵入り」である。今、聞いてみると、哀愁を帯びていて、同時に本当の茂兵衛が、いなくなっているのが、寂しく感じる。

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