今から131年前の1883年(明治16年)の本日11月28日、日本初の洋式社交クラブ「鹿鳴館」が開館しました。「鹿鳴館」とは外国からの賓客や外交官を接待するために明治政府によって建てられた社交場で、当時の欧化政策を象徴する存在でした。
計画を推進したのは外務卿の井上馨氏で、同館落成の明治16年から明治20年頃までの時期がいわゆる「鹿鳴館時代」と言われています。場所は、現在の千代田区内幸町の帝国ホテルの隣で、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しました。
その跡地には「鹿鳴館跡」のプレートが設置されており、次のように記載されています。
「ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であってその黒門は戦前まで国宝であったその中に明治十六年鹿鳴館が建てられいわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった千代田区」