ユリウスさんのブログ

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敢えていう、厳しい教師よ、出でよ  -子供を鍛えよ-

 教育を考える材料として、一つの逸話を紹介したい。JOANNE LIPMANという音楽家がウオール・ストリート・ジャーナルに書いています。

厳しかったK先生(見るからに迫力ある叱責をしそう、恐い先生は間違いなし)

 昔、生徒が失敗すると「ばかもの」と言う先生に教わったことがある。私たちのオーケストラの指揮者で、名前はジェリー・カプチンスキー。ウクライナからの移民で気性が荒い人だった。誰かが音を外すと、オーケストラを止めては怒鳴っていた。「第1バイオリンで耳が聞こえないのは誰だ!」私たちに指に血がにじむほど練習させた。手や腕の位置を修正するときには鉛筆で突っついた。

 今なら、クビになっているだろう。だが、先生が数年前に亡くなると、40年間に教えた生徒や同僚が全国から古い楽器を携えてニュージャージー州にやってきた。追悼コンサートにはニューヨーク・フィルハーモニックに劣らないほどの人数が参加した。

 ミスター・Kと呼ばれていたぶっきらぼうな先生にみんながこれほどの感謝の気持ちを抱いていたことにも驚いたが、昔の生徒が成功していたことは衝撃的だった。音楽家になった生徒もいたが、ほとんどが法律や学問、医学など音楽以外の分野で活躍していた。


 こういう熱い心をもった教育者はどこの国にも、どんな分野にもいる。勿論わが国にもいる。ただ、現在のわが国では支持してくれる人がほとんどいないため、孤立して力が発揮できない状態にあるのを危惧する。時にひよわな子供と軟弱な親とが、事件にしたりするから。
 敢えて「厳しい教師よ、出でよ」というのは、生徒に甘い先生や親は、長い目で見れば生徒をスポイルする可能性が高いから。子供の人生にとって、この損失は大きい。

 虐待を勧めている訳ではなく、K先生の何処に教育的効果が隠されているのかを考えたいからです。最近の教師は甘すぎると考えるが故に、このような先生のプラス面を敢えて取り上げたい。


1 子ども時代に適度なストレスを受けることのは大きな利点がある。日常のストレスに対処することで人は強くなる。ストレスには強制、叱責、励ましなどが含まれる。

 K先生の教えを受けた生徒はこう言っている。
「先生は自律を教えてくれた」。この生徒は元バイオリン奏者で、アイビーリーグの大学を卒業し、医者になった。
「自発性だ」と言ったのはテクノロジー企業の役員となった元チェロ奏者だ。
プロのチェリストとなった生徒は「立ち直る力」だと言った。「私たちに失敗する方法を、そして自分で再び立ち直る方法を教えてくれた」と。

 翔年は確信する。K先生は音楽を通じて人づくりをしていたのだと。


2 誉められると子供の自尊心が損なわれるという心理学の研究がある。

3 真の技能を身に付けるには約1万時間の練習が必要である。このような技能の獲得には「建設的でつらい意見」を言う教師が必要であることが分っている。

4 初等教育は基礎訓練である。基礎訓練は強制力と繰り返しがないとなかなか身につかない。

5 失敗させる。やり直しを経験させる。失敗したら子どもが傷ついて自尊心が損なわれるのではないか、と言われたりしているがこれは間違い。ヨチヨチ歩きの幼児が転んだとき、直ぐに抱き起こしたらダメで、子ども自身で起き上がらせるのが良いことは母親なら知っていなければならない最低条件である。

6 やさしいより先生より厳しい先生の方がいい。あるアメリカの研究チームは2005年から5年間、ロサンゼルスの一部地域で最も成績が悪い学校にいながら高い成果を上げている教員(生徒のテストの点で評価)のうち31人を観察した。研究結果では、最大の発見は「彼らが厳しい」教師だったことだそうだ。
さもありなんと思う。 

7  創造力はおのずと習得できる。伝統的な暗記教育や強制的な訓練は創造性を損なうといわれているが、これもあまりにも短絡的な考え方であろう。まず形から入ったとしても、いずれ力がつけば、自らその殻を破る(独創性)ことができる。格言「格に入りて、格をいずる」のいう通りと思う。誰もが簡単にできる訳ではないけれども。

8 誉められると人は弱くなる。K先生の最高の誉め言葉は「悪くない」だった。「一生懸命勉強しているね」と言われた生徒は自信がついて成績も上がる。この程度なら良さそうだ。

9 根性は才能に優る。「長期的な目標に向かう情熱や粘り強さややり始めたことは最後までやり通す」などの性向が根性である。これを涵養できる先生は文句なしにいい先生と思う。


 「鍛える」、「鍛錬する」、「努力」という言葉が好きな翔年は、世の親御さんや先生達がこれらの言葉を念頭において子供に接してくださることを期待してやみません。教育とは人が自らの力で素晴らしい人間になるための素地を作るものなので、生徒が後で振り返った時に、感謝の気持ちが抱けるような先生とはどのような先生なのか、どのようにしてK先生は指導し、生徒の心を掴み、生徒の人生に影響を与えることが出来たのか? 
 そのような議論を抜きにして、単にテストの成績がどうだこうだという話題だけを追っていていいはずがありません。



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