昨日夜、娘が孫を2人連れて、家に来た。そして、14時30分頃、帰っていった。この間、女房は居なくて、まだ、骨折の後遺症があるので、ままならぬ身体で、孫の面倒を少し見た。その間、娘は買い物に出かけた。娘は核家族で、夫は家のことは嫁に任せきりで、家事、育児には極めて消極的でほとんど家にはいない。そのためもあるが、わざわざ、片道3時間をかけて来たのである。娘もままならぬ中にいる。わたしは、準備も無しに来たので、かなり手こずった。
先ほど、日経新聞を読み終わり、この間の短い出来ごとをここで、メモしている。もし、娘が来なかったらと思うし、娘は娘で、家庭の事情で来ざるを得なかったのである。
表題は、ままならぬ人生であるが、こんな事は、誰でもあることである。予定どおり、いかないのが、人生である。羅針盤の無い船でもある。何時難破するかもしれないのが、人生である。それでも人は生きている。明日の保障は無くても生きている。
夕闇が来た。まだ、昼のお椀を洗っていない。何となく面倒だが、洗わなくてはならない。しかし、このくらいならまだ、良いと考えなければならない。世の中には、更に大変な状況に置かれている人は、数しれない。
みん株でも、この事は書こうと思っていることが2つばかりある。それにも手をつけていない。思う様にはならない。まだまだ、修業が、足らんな。