私が物心付いた時には日本も裕福な時代では無かった。
そして母の育児による処が大きいと感じる、そして育った街は平和な街では無かった。
殺戮が繰り返される街だった。
そして家庭を守る為に私は正義感が育まれた、当時は家族でも友人知人なども自治体が育んでいた。
その頃の正義感と言う矍鑠とした頑丈な感情は大人になる時間を体幹する度に正義感が更に強くなって来る。
お金で育んだ学びなどは足元にも及ばない生きた人生観である。
お金で得た学びなどは直ぐに玉砕などを安易に覚え罪も無い者も陥れようとする。
お金で買った幸福など砂上の楼閣なのだ、現在の世界を見ても銀行家と言える財産家は余りいない
銀行家と言う者は消費者金融系の銀行や遊戯施設で成り立った銀行などはどんな資金も金を優先する。
私の場合は最初に人を優先して感情が荒れた時にはスパーリングで気分を晴らしいて練習していた。
そして何者にも優しく接していた、しかし愚かな勝者などはノックダウン制が一番強いと思っている。
私は現在の世界史産の元本を稼いで融資元本として平成の時代の前に預けて利子だけで生活してるのだ。
昭和53年にはCB電卓を設計してそれを頭角として都市計画など地図を見ながら計画を行っていた。
生コン車が一台7万円を耐え抜き現在の経済を作り上げたのです。