1845年(弘化2年) 山本八重生まれる
1865年(明治元年)戊辰戦争 鳥羽伏見の戦い
8月23日西軍城下に侵入山本八重男装にて鶴ケ城にⅰケ月の篭城戦
幕末のジャンヌ・ダルクと言われる
会津藩校・日新館の教授をつとめる川崎尚之助と結婚したが、戦争前に別れる
1870年(明治3年)山本八重ら家族5人が米沢の内藤新一郎方に出稼ぎ
戦後、京都府顧問として活躍していた兄・覚馬を頼り京都に。
そこで同志社大学創立者となる新島襄と運命的な出会いを果たし、結婚
天下の悪妻と噂されていたが新島襄は過ぎた妻と思っていたようです
1893年(明治29年)一般女性初の勲七等宝冠章
日清・日露戦争で篤志看護婦
日本のナイチンゲールへ
明治33年 養女迎える
1932年(昭和7年)新島八重6月14日京都市寺町の新島旧邸にて死去


