この世の中は逆のことが非常に多い。正義だと思っていた事が悪だったり、悪だと思った事が、正義だったりする。
国と国の争いもそうです。
お互い自分達が正義で、相手のことは悪だと思っている。相手もまた同じ思い。立場が変われば正義と悪が入れ替わる。
もしかしたら相手は間違っているかも知れないが、彼ら自身は、自分が間違っているとは決して思わない。
だから相手を非難しても始まらない。相手の考え行動には相当な理由があるはず。
解決する為には、その理由を探し、相手の身になって考える必要がある。
また自分達が正しいとも限らない。
きれい⇔汚い、正義⇔悪、生⇔死、二つの相反する言葉は、時として類似した意味を持ちます。
つまり欲望、希望は、人を成長させるが、時には破滅させるという事と同じです。(日記に書いたかな?)
そして「正義」とは「残酷」なものであります。
魔女狩り、広島への原爆投下、アメリカ同時多発テロ、イラク空爆、これらは正義の名のもとで行われてきました。
そう、自分の正義を確信している人間こそが、もっとも残酷になれるのです。
なぜなら、どれだけ残虐な事だろうと彼らにとっては、正しいと思っている事なのだから・・・
そして勝利した方だけが、正義を主張する事ができるのです。
しかし、勝利した方が正しいとは限らない。
力でねじ伏せただけ。
今日もどこかで正義という名の下で、多くの人々が殺されているのです。
正義の定義は、それぞれの国、組織、個人ごとに変わるもの。
日本には日本の正義があり、中国には中国の正義、韓国は韓国の正義がある。
キリスト教にはキリスト教の正義があり、イスラム教にはイスラム教の正義があるように、
立場が変われば正義もまた変わるのです。
正義を盾にした暴力は悪。
愛国心を盾にした暴力も悪。
今日は日本の中でも領土問題が出ていたようです。
お互いの主張だけが、ぶつからないようにしたいものです。