軍人 ダグラス・マッカーサー

LONERさん
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いつもの思いつきでメモ。

1880-1964.
1903: ウェストポイント陸軍士官学校を主席で卒業。
1905: 父のアーサー・マッカーサージュニアが駐日アメリカ大使館武官となり、ダグラス・マッカーサーはその副官に任命されて来日。
第一次世界大戦では15の勲章をもらって少将に栄進、士官学校の校長、1928 アムステルダム五輪 の選手団長を経験。
1930: フーバー大統領によって陸軍参謀総長に任命される。フランクリン・ルーズベルトは、彼ほど魅力と伝説と堂々たる風貌に恵まれた男はほかにいないと賞賛。
1932: 大恐慌。ボスアナーミー事件を鎮圧。共産主義を嫌っていたマッカーサーはこれを共産主義によるものだと決め付け、率先してデモ鎮圧を申し出た。
1937: 退役。
1941: ルーズベルト大統領がマッカーサーを呼び、極東軍司令官に任命。太平洋戦争の指揮をとる。
1944: 元帥へ昇進。戦争終了後に、米太平洋軍総司令官と連合国最高司令官を兼任。
1945: 占領政策を実行するため来日。
連合国総司令部GHQの指令を通じて日本の日軍事化、民主化を急いだ。任務遂行を急いだのは、マッカーサー自身が大統領選への出馬を視野に入れていたかららしい。現役軍人は大統領になれないので、マッカーサーはアメリカ本土に何度も占領の終了を呼びかけていた。選挙の結果は、共和党候補の予備選挙に敗れるという無残な結果となった。
1950: 朝鮮戦争勃発。トルーマンにより国連軍最高司令官に任命され、アメリカ軍を派兵。
1951: トルーマンにより国連軍最高司令官を解任される。マッカーサーは満州への空爆、核兵器投入を執拗に迫ったが、トルーマンは戦争を広げたくなかった。
合衆国に帰国した後、ワシントン市内でパレードを行った。50万人ほどのパレードとなった。
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