ここ10年来、1年に3万人を超す自殺者数、社会の閉塞感。何でも政府にやってもらうという、自立不足の甘えた考えの充満。馬鹿騒ぎと思えるテレビ番組が多い事など。バラエティー番組、これにはうんざりさせられる。
この周りの現象は、一体、どうなっているのかと、思わされる。この世には、人々の気持ちを沈めるような、あるいは混乱させる魔物がいるとも感じる。乱雑な不整合な社会。そしてこの社会から、そしてやがて、自分への危機感が迫ってくるようである。自分だけでなく、社会への危機感のような気持ちになる。
こんな事を考えていると、自分にこれらを撥ね退ける体力、気力が欲しいと感ずる。そこで、野外での身体を動かすことが、今の自分には必要である。もっと外で運動をしておけば、こんな社会の停滞した空気が少しは、少なくなるのではと思う。しかし、こんな事くらいでは、焼け石に水くらいの事だろう。それでも考えよう。
ここで、少し生活を変えようと思う。今までも、そうだったが、もっと野生で生きようと思う。野生といっても、サンマを焼かないで、両手でつかみ、そのまま、生で食べろというのではない。現代の機械文明から少し、離れた生活をしようというくらいの事である。
簡単に出来るのは、外での散歩である。これなら歩ける人なら容易に出来る。ここ前橋でも少し外に出れば、田んぼや畑は、直ぐにある。また、旧市街地でも裏道は、車は少ないし、歩きやすい。要するに、毎日少しでも出来る運動を習慣にしようというのである。
これは、健康にもよい。いまさら言うまでの事はない。頭でっかちで、くよくよ悩むより、あるいは家の中で、それこそ身体にカビが生えるような動かない生活をするよりは、身体を動かし、少しでも、筋力を鍛えれば、少しは健全な気持ちになれるかもしれない。
そんな事を言っている自分が、今は運動不足である。この一番の原因は、この3月の背骨の骨折とすべり症である。骨折は、ほぼ回復し、すべり症が残っていると感じる。しかし、何とかしようと思う気持ちはある。10月27日(土)に曇りだったので、自転車で、前橋グリーンドームまで行って来た。往復10キロくらいだろうか。このくらいの事は出来る。このように、特に、運動の時間をとらなくても生活の中に、少しの運動は取り入れる事は、誰でも可能である。
ストリーム。そうだ、流れを作る事である。家の中で停滞しているよりは、外で気流の中で動く事である。そうすれば、身体全体に「気」のストリームがさらさらと流れるように思う。そうして、たとえ、社会が閉塞していようが、身体に流れを作れば、少しは、心はリラックスするし、免疫力は増すし、生きるという、健全な状態が保たれると、信じたい。
これ以外にも、ゆっくりと湯船に浸かることも、身体は、温まるし、血液循環は良くなるし、気分が良くなることは、誰でも経験することである。とにかく、生活の工夫、改善をしよう。そして心がけて、野外で身体を動かそう。