明彦の知る限りでは、大学を卒業し、就職難の時に、何とか捜し求めて、やっとのことで会社に勤めたが、2年くらいで辞め、その後、就職先が無く、家でぶらぶらしているか、アルバイトをしているかの、その先はどうしているか不明だが、こんなことを、聞いている。
こんな話は幾つか聞いていることである。石の上にも3年という。辛抱強く勤めていれば、我慢していれば、会社は、給料は出してくれる。会社から、解雇すると言ってきたのでは、無いのである。その先がどうなるか良く考えない、今の若者の世代である。
それは、秋子だけでは無く、生活に恵まれた世代の、かつて豊かな日本だった時代の共通する考えだと感じている。苦労を知らない、努力をしなくても生活できる時代に生きてきた年代である。だから、少し自分にとって、会社で面白くないことや、不満があると、直ぐに、辞めてしまうのである。
耐えることを、知らない世代である。明彦君でも昭和30年代からの池田内閣の「所得倍増計画」から国内総生産は飛躍的に増大してきた時に、生きてきたのである。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、その象徴である。戦後の貧しい時代から、豊かな時代へとの変遷である。そしてこの豊かさは1990年のバブル好景気まで続いたのである。秋子が、生まれたのはこの好景気の最中である。
そして、今の日本社会では、会社を辞めた後は、一口で言えば、悲惨な現実が待っているのである。次には、好条件の就職先が、見つからないのである。転職をすればする程、その先は条件の悪い会社が待っているのである。それでも仕事が見つかれば良い方である。そしてそこが、不満で辞めたとすれば、今度は勤める先が無いのである。
もうひとつ、明彦君の家庭の特徴的なことを、述べなければならない。それは、2人の子供への母親の過保護である。これには母親の影響が大きい。明彦君は、どちらかというと、子供の養育には厳格にした。
ところが、母親は「子供の言い分を聞かなくちゃ。」と言い、父親を排除してきた。その結果は、何でも子供の言いなりになってきたことである。子供への養育には、母親は明彦君の言っていることを、無視して2人の姉妹に接してきた。何でも、昭彦君の言っていることを、反対してきた。この女房の考えも昭彦君には分からない。
結果として、父親は居るには居るが、父親の威厳や、存在や意向は、明彦君の家庭には全く無く、父親不在の家庭になってしまった。馬鹿な女房だと、思っている。秋子は父親である明彦とは、もう10年以上も、話らしい話をしたことがない。大学を卒業して、家に住んでいるが、秋子との会話はひとつも無いのである。これが、今回の、辞める一つの原因にもなっていると感じている。親は子供のことを充分に考えているのである。相談すれば子供にとって最適な答えを出すはずである。
数日後の日曜日、秋子は母親に、今日は、ライブが有ると言って、出かけていった。また、東京だろう。